バスを降りてから頭の中の地図にしたがって歩き始めた。
わずか30メートルくらい先の歩道橋まで一本道だ。
なんとかなると思っていたが迷子になった。
歩道と歩道橋の登り口が少しずれているのだ。
どうやって解決しようかと思案しながら白杖で周囲を探ってみた。
「どこに行くの?」
通りかかった男性が声をかけてくださった。
「歩道橋の登り口を探しているんです。」
これでもう大丈夫と僕は安心しながら答えた。
案の定、彼は僕を掴んで誘導してくださった。
歩道橋の登り口はすぐそこだった。
お礼を伝えてから階段を上り始めようとした。
「少しは見えてるんやねぇ。」
彼は僕の足を止めた。
「いえ、全盲で光も分からないんですよ。」
僕は笑いながら答えた。
彼は絶句した。
しばらくして、自分が糖尿病でとても見えにくくなっていることを口にされた。
「最近、夕食の後とか目がぼやけてしまう。」
たったそれだけの言葉の途中に彼の声は一瞬涙ぐんだ。
見えなくなるかもしれないという恐怖の中におられることが伝わってきた。
僕は糖尿病ではなかったが失明直前の恐怖感はよく理解できた。
「ちゃんと病院に行ってくださいよ。」
「ちゃんと行ってる。」
それだけのやりとりだった。
階段を上りながら、振り返って言った。
「大丈夫です。」
はっきりとしっかりと強い言葉で言った。
「うん。」
彼は小さく答えた。
何の根拠もない言葉であることは分かっていた。
でもどうしても言いたかった。
彼の視力が少しでも残りますように、階段を上りながら祈った。
何段あるかなんて分からなくても、一段ずつゆっくりと上ればいつかたどり着く。
涙はいつか思い出に変わる。
(2019年1月25日)