62歳になった。
僕が生まれた日、鹿児島県も寒い日で小雪が舞っていたらしい。
未熟児で生まれて、体重は1キロなかった。
小さな田舎町にはまだ保育器もなかったし、電化製品もない時代だった。
僕が育つのは難しいと多くの人が思ったらしい。
それでも産婆さんはあきらめなかったし、
両親は寝ずに湯たんぽを取り替えてくれた。
それから、22,265日、生きてきたということになる。
その間、ずっと呼吸してきたのだ。
気が遠くなるような数字だ。
たくさんの人達の愛情に支えられて生きてこられたのだろう。
すべての人にありがとうと言いたい。
振り返れば、道がある。
自慢できるようなものではないけれど、
僕なりに歩いてきた道がある。
そして見渡せば笑顔がこぼれる。
まだまだ道は続くのだろう。
一歩一歩、しっかりと、でものんびりと歩いていきたい。
(2019年1月5日)