大学を卒業してからの17年間は児童福祉の仕事に関わっていた。
元々やりたかった大好きな仕事だった。
一生続けたいと思っていたしそうなるだろうと勝手に思っていた。
35歳頃から目に異変を感じ始めた。
少しずつ病気は進行していった。
39歳になった頃には文字もほとんど読めなくなり、
普通に歩くことにさえ不安を感じるようになってしまっていた。
間もなく退職を決意したが涙が止まらなかったことを憶えている。
悔しかった。
残念でならなかった。
見えなくなったら何もできなくなってしまうのではないかと不安に怯えた。
それでも何か僕にでもできることがあるのではないかという思いを消すことはできなかった。
願いだったのかもしれない。
でも自分が生きていくことさえ大変な時が続いた。
見えない人間が仕事をして収入を得るということはまだまだそんなにたやすいことではない。
ある意味、失明そのものよりも苦難の日々だった。
そんな中でフィリピンのセブの子供達のことを知った。
貧困で教育を受けられない子供達がいるとのことだった。
1か月1000円あれば学校に行かすことができるとのことだった。
それくらいなら僕にもできるかもしれない。
僕はその活動に参加することにした。
あれからどれくらいの時間が流れたのだろう。
何人かの子供を小学校に行かすことができた。
見えなくなった僕にもできること、僕でも役に立てること、
ささやかだけど自分自身を認めてあげられるひとつになった。
その団体の法人化10周年の記念イベントがセブで開催されることになった。
僕はもう縁がないだろうと思っていたパスポートを再申請した。
子供達の支援を続けてこられたのは、
僕が僕であり続けられたというひとつの証なのかもしれない。
僕に関わってくださったすべての人に感謝しながらセブ行の直行便に搭乗した。
(2018年4月7日)