50歳直前に再会した小中学校時代の友人、
彼の名前ははっきり憶えていたが顔は思い出せなかった。
最後に会ってから30数年という時間が流れていたのだから仕方ない。
卒業アルバムも確認できない僕にはそれはどうすることもできなかった。
彼はそんなこととは無関係に僕と接してくれた。
僕の人生に思いを寄せてくれた。
自宅に招待してくれて少年時代を振り返った。
僕の活動に賛同してサポートしてくれるようになった。
彼のサポートで実現した講演は10会場を越え、聞いてくださった人は数千人となっ
た。
彼はそれをいつも自然体でさりげなくやってのけた。
僕の気持ちに負担をかけないようにとの配慮もあったのだろう。
幼馴染っていいなと感謝した。
ただ彼の奥様は僕とは直接の接点はない。
電話で話したりメールでのやりとりはあったが直接会ったのは数回だ。
勿論、彼女の顔を見たことは一度もない。
そんな会話になると「残念ね。」と悪戯っぽく笑う。
今回の鹿児島、二人が駅まで送ってくれた。
友人とトイレにいっている間に彼女は売店に走ったのだろう。
おにぎりとパンを僕に手渡した。
「新幹線の中でお腹が空いたらこれを食べるのよ。」
彼女が彼氏に言うように、いや、母が息子に言うように。
僕は握手をしながら笑った。
彼女も微笑んだ。
今回の講演で出た質問を思い出した。
「見えなくなって、幸せを感じるのはどんな時ですか?」
僕は事実をそのまま伝えた。
「見える人よりも、やさしい人に出会える機会は多いよね。」
僕は新幹線の中でニヤニヤしながらおにぎりを頬張った。
(2018年4月2日)