30歳代で光を失った彼女は50年以上の歳月を見えない世界で過ごしたことになる。
活発で活動的だった彼女にも少しずつ老いが忍び寄ってきた。
体力の衰えは緩やかだけれど記憶はどんどん失われていっているようだ。
特に新しい過去の記憶はなかなかしんどいみたいだ。
予定を勘違いしたり間違ったりが目立つようになってきた。
僕が誰かもわからなくなる日はそんなに遠くはないのかもしれない。
冬の陽だまりの中で彼女はふと背中のぬくもりに気づいたらしい。
お日様の光が背中に当たっていると言いだした。
それから突然やさしい声で思い出を語り始めた。
目を細めるようにして語り始めた。
紙を鉛筆で黒く塗ってそこに虫眼鏡で光を当てた。
光の輪が小さく小さくなるように虫眼鏡を動かした。
光の輪はキラキラと輝いた。
やがて光の輪から煙が立ち上った。
うっすらと白い煙が出て紙に穴が開いた。
それが不思議でとてもうれしかったらしい。
幾度もたくさんのお日様の光を集めたと思い出を結んだ。
70年以上昔の少女の頃の記憶が鮮明に語られた。
新しい記憶から消えていく理由が少し判ったような気がした。
人は一番やさしいものを最後まで抱きしめて生きていくのだろう。
いつかひょっとしたら見えなかった人生さえも彼女の記憶から消えるのかもしれない。
それは頑張って生きてきた彼女へのご褒美なのかもしれない。
冬の陽だまりが静かに彼女を包んだ。
光はそっとやさしく彼女を抱きしめた。
(2018年1月7日)