駅を出てバスターミナルまでの通路、
僕は毎日のようにそこを歩いている。
点字ブロックを白杖で確認しながら歩いている。
毎日何の変化もない。
音も空気もいつも同じようなものだ。
でも今日は違った。
通路の両側の壁に幼稚園や保育園の子供達が描いたひまわりの絵があることを知った。
僕はひまわり畑の中を歩いていたのだ。
大好きなひまわり畑の中を歩いていたのだ。
それを知ったらうれしくなった。
昔歩いたひまわり畑を思い出した。
歩いた時にはもう失明していたのだから、
本当は映像が蘇るはずがない。
それなのについこの前見たように鮮やかに蘇った。
ひまわり畑の近くのレストランで食べたハンバーグランチがひまわりみたいに飾って
あったことまでも思い出した。
見たことのない映像が宝物になっていた。
それからひまわりの映画のシーンも記憶に重なった。
列車は一面のひまわり畑の中を進んでいた。
その前後の記憶がないということは悲しい映画だったのかもしれない。
通路の途中までのたった数十メートルのひまわり畑の道、
楽しい思い出と悲しい思い出が交差した。
人は様々な思い出を抱きしめて生きていくのだろう。
いや思い出に抱きしめられて生きていくのかもしれない。
見たことがあってもなくても、それはきっと幸せなことなのだ。
(2017年8月2日)