引っ越ししてきて2年半あまりの時間が流れた。
前の団地は目が見える頃から暮らしていたので、
街全体がイメージできた。
一本違う筋も理解できていたし、
近道も知っていた。
今度の団地は見えなくなってからの学習だから大変だ。
根気のない僕はすぐにいろいろなことをあきらめ、
結局バス停と団地の経路しか判っていない。
それで困ることもないからいいのだと納得している。
日常生活に必要な最低限のルートだけを身に着けたということになる。
エレベーターを降りたら右斜め前のコンクリートの壁を確認し、
そのまま右方向へ進む。
壁が終わったら直角に左へ向きを変える。
道の両側は芝生なのでこの道は白杖の感覚で判りやすい。
道なりに進んでまた壁に突き当たる。
そこで左に曲がって歩くと一般道にたどり着く。
そこから左に方向転換して自転車の音に気をつけながら進む。
点字ブロックが横断歩道の合図だ。
車のエンジン音を手がかりに青を判断する。
直進と右折の二度の信号を渡ったら左に向かってまた歩き出す。
バス停の点字ブロックを目指して歩く。
団地からたった500歩くらいの道のりだけど、
見えない僕にとっては緊張の時間だ。
バス停にはいろいろなバスがくるので、
そこからはバスが停車した際の案内放送をしっかりと聞き分けるという作業になる。
全盲の僕が単独で歩くというのはそういうことの積み重ねなのだ。
ところが2年半の時間は少しずつ僕を街の日常の風景に溶かしていったのだろう。
「ここですよ。」
バス停を教えてくれる声が聞こえるようになった。
「おはようございます。」
挨拶をしてくれる人が増えてきた。
バスのエンジン音が近づいたタイミングで、
「8号のバスですよ。」
耳元でつぶやいてくれる人も出てきた。
僕は住民の人の顔を一人も知らない。
二日続けて出会っても判らない。
メディアは社会の危険性を連日報道している。
それは事実だろうし否定もしない。
でも、街にはあちこちに人間のやさしさが生まれている。
これもまた真実のひとつなのだ。
偶然でもないし思い過ごしでもない。
自信を持ってそう言える。
何故なら今朝も昨日もそうだったから。
(2017年5月12日)