のんびりと2017年の元旦を迎えました。
朝一番にベランダに出て、
亡き父が大切にしていた寒ランにジョーロでたっぷりの水をあげました。
身体に当たる陽光がとても柔らかでした。
見えないのにどうしてそう感じられるのだろうかと自分でも不思議に思いました。
それでそっと手のひらを空中にかざして光を探してみたのですが、
捕まえた光はやっぱり柔らかでした。
微かな風も慎ましやかでした。
それでいいのだと思いました。
失明して20年という時間が流れました。
僕の人生の三分の一を過ぎたということになります。
見えていた頃が少しずつ遠くになっていきます。
記憶がセピア色になってきているのも事実です。
見えていた頃の話をするのに少し照れくささも感じるようになってきました。
でも、僕自身はやっぱり何も変わっていません。
変われなかったということなのかもしれません。
年末に中学校から届いた講演の感想文を読んでもらったのですが、
「カッコいい」とか「素敵」などの表現がいくつもありました。
画像からすれば、
頭の禿げた中年、いや老年にさしかかっている僕の姿がそんな筈はありません。
まだ清らかな中学生の心が人間の生きる力に反応してくれたのでしょう。
僕が中学生だった頃、障碍者に対してそういう感覚を持てませんでした。
社会は確かに変化しています。
そしてもうひとつ共通していたのは、
歯を食いしばっている僕ではなくて、明るく普通に話す僕に向けられていたというこ
とです。
共に生きていく社会の原点を生徒達に教えてもらっているような気がしました。
今年もそういう活動をできればと思います。
僕の歩幅で僕の速さで、
いや僕ののろさで歩いていきます。
このブログも書き続けます。
もう書かなくていい社会がくるまでは書き続けます。
読んでくださっている人が少しずつ増えています。
応援してくださっている人が増えているということでしょう。
ありがとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
(2017年1月1日)