一升瓶にススキを飾って栗や梨をお供えしてお月様を眺めた。
遥か遠くの少年時代の思い出だ。
愛おしい思い出だ。
もう見ることはないというのはひょっとしたら悲しいことなのかもしれないが
不思議と心は満ちている。
僕自身のしたたかさなのかもしれないけれど、
あきらめの境地になっているのだろう。
失明して二十年という時間が僕を育んでくれたのかもしれない。
それでも甘党でもないのに月見団子を味わっている。
見えても見えなくてもお月様が好きということなのかな。
やっぱり見たいということなのかな。
(2016年9月16日)