朝8時の桂駅。
夏休みで通学の学生は少ないはずなのだが、
やっぱりホームは込んでいた。
僕は慎重に点字ブロックを探し、そしてゆっくりと移動した。
間もなく特急電車が入ってくる。
ドアが開いて降りる乗客がいなくなったタイミングで、
他の乗客の迷惑にもならないように乗車しなければならない。
停車時間は30秒程度だろうか。
もう何千回も成功している。
失敗はゼロだ。
それなのに毎回緊張する。
失敗が何を意味するかを理解しているからだろう。
時々駅員さんや他の乗客が声をかけてくださったりする。
でも何もない日もある。
乗車したらすぐに入口の手すりをつかむ。
そしてほっとする。
この時間帯に座れることはほとんどない。
最初からあきらめている。
今日はサポートの声がないどころか、誰かの足に白杖が当たったりして大変だった。
電車が烏丸に到着して地下鉄へ向かう時も大変だった。
そんな日の僕はいつもよりスピードを落とし白杖も身体の近くに引き寄せて歩く。
心の中で無事を祈りながら歩く。
地下鉄に乗車した時には結構疲れていた。
手すりを握ろうとした瞬間、
「お座りになられますか?」
僕の右の端っこの席からご婦人の声がした。
「ありがとうございます。助かります。」
僕はそう言いながら座った。
思いがけないプレゼントをいただいたような気分だった。
すぐに胸ポケットのありがとうカードを渡したいと思ったが、
そのご婦人がどこに移られたかが判らなかった。
電車が九条駅に着いた時、
「お気をつけて。」
さきほどのご婦人の声が隣の席から聞こえてきた。
隣にいらっしゃったのだ。
僕は咄嗟にありがとうカードを渡した。
そして再度お礼を言った。
「頂けるのですか?大事にしますね。」
ご婦人はそう言って降りていかれた。
「大事にしますね。」
ぬくもりのある言葉だった。
こういうことがあるから僕は一人歩きをやめられないのだろう。
見えなくて歩くしんどさ、恐怖心、否定はしない。
でも、だからこそ、人間のぬくもりに幸せを感じてしまうのだろう。
損得も利害もないところで、
人間は誰かを助けたりできる素敵な生き物なのだ。
(2016年8月1日)