さわさわ宛に届いた手紙の差出人、
旧姓も書いてあったがすぐには思い出せなかった。
封を開けてスタッフに代読を頼んだ。
スタッフが読み進めるにつれてセピア色の記憶が蘇ってきた。
大学時代の友人からのものだった。
控えめな彼女の笑顔までが蘇った。
誠実さが伝わってくる文面だった。
ラジオから流れてきた「いとしのエリー」を聴いて僕を思い出してくれたらしい。
気まぐれにインターネットで僕の名前を検索して
手紙の送り先のさわさわも見つけたようだった。
便利な世の中なんだなとあらためて実感したし、
パソコン力の低い僕は自分でひとつひとつを確認できないので、
僕がどんな風に紹介されているのかちょっと不安にもなった。
僕の話し方がすっかり関西人になったとも書いてあったということは、
どこかに僕の声までも公開されているのだろう。
恥ずかしさはあるけれど、
インターネットが37年ぶりの彼女とのつながりのきっかけとなったとすれば、
それはそれで有難いことなのだろう。
彼女の記憶では「いとしのエリー」が僕の下宿でよく流れていたらしい。
確かに青春時代の思い出の一曲だ。
薄汚れた三畳一間で過ごした大学生活、
いつもそこには好きな音楽があった。
貧しかったけれど豊かな時間ではあった。
いくつかのレコードのジャケットまでを記憶している。
あの頃の僕は目が見えていたのだ。
今の自分を不幸だとは思わないけれど、
あの頃見ることができていたのはやっぱり有難いと感じる。
今度休みが取れたら、
白杖をしっかりと握ってあの頃の彼女に会いに行こう。
あの頃の僕のまま会いに行こう。
(2016年7月12日)