朝7時過ぎの阪急電車に桂から乗車した。
僕は友人と一緒だった。
目が見えている友人はそっと教えてくれた。
「松永さん以外に白杖の人が二人乗車しておられます。」
僕はそれを聞いただけでうれしくなった。
同じ車両の中だったけれど、僕を含めた3人の視覚障害者はそれぞれ別々だった。
たまたま同じ車両に乗り合わせたということだ。
京都では白杖で街を歩く人が確実に増えている。
それは視覚障害者が増えたということではなく、
白杖で社会参加する人が増えてきたということだ。
丁度昨日、先天盲の先輩と話をしたばかりだった。
彼女は点字ブロックも音響信号もない頃からこの街を歩いてきた。
僕には想像できない。
もし僕がその時代だったら怖くて家から出れなかったかもしれない。
「白杖で歩こうという人も、手伝ってくれる人も、どちらもが増えてきたのよね。」
彼女は淡々とうれしそうに語った。
その時代が苦しかったとも悲しかったとも言わなかった。
先輩達の話を聞きながら、人間が生きていく姿を美しいと感じることが多くある。
そして、僕もそんな風に生きていけたらと思う。
僕が乗車した電車は間違いなく未来に向かって走っているのだと感じた。
(2016年6月24日)