エレベーターに乗った時から子供達の声は聞こえていた。
鬼ごっこでもしているのだろうか。
階段を駆け上がったり駆け下りたり自転車置き場に隠れたり、
時々悲鳴をあげたり大声で叫んだりしながら走り回っていた。
子供達にとっては団地の構造自体が格好の遊園地なのだろう。
大きな笑い声が楽しそうだった。
ただそれは白杖の僕にとっては恐怖の状態そのものだった。
どこから子供が飛び出してくるか判らない。
予想ができない。
エレベーターを降りた時から僕は慎重にゆっくりと歩き始めた。
数歩進んだ所で、
「目が見えへん人やで。」
気づいた子供の一人が小さな声でつぶやいた。
いくつもの足音が僕の近くで止まった。
声はしなかったが肩で息をしているのが伝わってきた。
いつもの方向に進もうとした瞬間、白杖が停めてあった自転車に当たった。
自転車は大きな音をたてて倒れた。
いつもはそこには自転車はない場所だった。
きっと誰かが遊びの中で通路に動かして停めてしまったのだろう。
「ごめん、ごめん。」
僕が倒れてしまった自転車を起こそうとした瞬間、
「大丈夫ですか?」
一人の少年が僕に駆け寄った。
それを合図に他の子供達も声を出した。
「大丈夫ですか?」
自転車を立て直す子供もいた。
「僕は大丈夫だよ。当たったのは杖の先だけだったからね。自転車も壊れていないか
な?」
自転車も大丈夫とのことだった。
「何も見えないのですか?」
しっかりした口調の少年が僕に尋ねた。
「そうだよ。君の年の頃は見えていたから、僕もよく鬼ごっこやかくれんぼをしたな
ぁ。40歳の頃病気で見えなくなったんだよ。」
僕はそう言って歩き始めた。
「もう少し先が下り坂ですよ。」
少年は僕に並んで歩きながら説明した。
僕は白杖で探りながら足元はだいたい判ることを伝えた。
それからその先の歩道と芝生の分かれ目も白杖から伝わってくる感触で確かめている
ことも伝えた。
「凄いですね。」
少年はそう言って立ち止まった。
もう少年はついて歩こうとはしなかった。
僕が単独で行けると判断したのだろう。
僕はまた白杖を左右に振りながら歩き始めた。
そこから少し歩いて壁に白杖がぶつかった場所で左へ方向転換をするのだけれど、
「その先、ぶつかりますよ。」
少年の大きな声が後ろから追いかけてきた。
僕の後ろ姿を見守ってくれていたのだろう。
僕は振り返って大きな声で答えた。
「ぶつかったところが曲がる印なんだよ。だから大丈夫。」
「気をつけて行ってください。さようなら。」
少年は大きな声で笑いながら手を振った。
ありがとうと言いながら、僕も笑って手を振った。
(2016年6月21日)