小さな花束を買ってリュックサックにそっと入れた。
花束の上の花の部分はリュックサックから顔を覗かせている状態だ。
きっと見た目は変なおじさんなのだろうけど気にはしないタイプなので平気だ。
これでいつものように白杖を左右に振って歩ける。
花を傷めずに持って帰れる。
父ちゃんが喜んでくれるかなと思ったら、それがうれしい。
父ちゃんが93歳でこの世を去ってもう1年半が過ぎた。
いい加減にあきらめたらいいのだろうけど、
まだまだ受け入れようとしない僕がいる。
あの時、僕はベッドに横たわった父ちゃんの口元に耳を近づけて、
呼吸の音がしないことを確認した。
通夜の時、冷たく硬くなった父ちゃんの身体を手で触って確認した。
火葬場では骨も触らせてもらった。
それなのになかなか受け入れられないのはどうしてなのだろう。
死に顔を見ていないからだろうか。
何もできなかった自分が悔しくてたまらない。
いつまでもグズグズした気持ちを持っていたら父ちゃんに叱られるのは判っている。
ごめんなさいとつぶやきながら、
花束で飾られた父ちゃんの遺影に手を合わす父の日になるのだろう。
自分の失明を受け入れた時よりも時間がかかるのかもしれない。
やはり人間は愛する人との別れが一番つらいということなのかな。
(2016年6月18日)