駅前には引揚桟橋の模型があった。
僕はその桟橋に立ってみた。
六十数年前、まだ二十歳代だった父はこの橋を渡って祖国の土を踏んだのだ。
そしてそれから93歳まで生き抜いた。
その中で僕も命を頂いたのだ。
きっといくつもの偶然が重なって必然となったのだろう。
熊本地震のニュースを聞きながら、
当たり前だと思って生活している日常がそうではないことを知る。
理屈では判ったような気でいた自分自身が恥しくもなる。
今日があるから明日があると勝手に思い込んでいるのは錯覚なのだ。
今日生きていられることは幸せなことなのだ。
そう思ったら感謝の心が自然に生まれてくる。
そして犠牲者が一人でも少ないようにと心から願う。
(2016年4月17日)