見えない僕が一人で白杖を頼りに歩く時、
失敗や迷子は日常的に発生する。
いつものバス停でさえ通り過ぎることもあるし、
見えている頃に歩いた経験のある地域でも記憶はパーフェクトではない。
音、匂い、路面の変化など時間帯によってどんどん変化していくし、
季節や天候やその日の自分自身の体調などでも感覚は変わってくる。
見えないで歩くということはやはりとんでもないことなのだ。
僕は失敗して人にぶつかったりする度に
「ごめんなさい。」とまず謝ることにしている。
謝るというのは自分に落ち度があると認めるということだから、
安易に謝らない方がいいと助言を受けたこともある。
なんとなく判るような気もするのだけれど、
でもやっぱりつい謝ってしまう。
その方が僕自身の気持ちが落ち着くのかもしれない。
今朝は傘をさしての歩行だった。
風もあったのであっちにこっちにフラフラしながらの歩行だった。
案の定、ぶつかった。
その瞬間、僕はいつものように謝った。
「ごめんなさい。」
何も返事はなかった。
たまにはそんなこともあるので、
仕方ないと思って再度歩き始めた時、
ぶつかったのは人ではなくてバス停の支柱だったことに気づいた。
何も反応がなくて当たり前だったのだ。
以前はそんな時の自分をちょっと恥ずかしいと感じたりしていた。
多分他人の目が気になっていたのだろう。
いつの頃からか平気になった。
電信柱や停めてある自転車に謝っている自分を好きになっていったのかもしれない。
バス停の支柱だと気づいたら、
支柱が「頑張れよ。」とささやいてくれているような気分になるから不思議だ。
僕は少し笑顔になってまた歩き始めた。
やっぱり、ごめんなさいと言える人生が素敵だな。
いつまでも「ごめんなさい」と言える自分でありたい。
(2016年2月29日)