1997年、病気が進行してほとんど見えなくなった僕は、
京都ライトハウスで様々なリハビリテーションを受けた。
内容は白杖での単独歩行、点字、日常生活の工夫などだった。
まだパソコンの訓練はなかった。
一般社会でもウインドウズ95、98などから広がっていったのだから、
それは仕方がないことだった。
結局、僕はそれ以後自力でパソコンの基礎だけを学んだ。
だいたい勉強は苦手意識があるので、
たいした学びにはならず、メールだけができるようになった。
視覚障害の友人の中にはワードもエクセルもできる人は多くいるし、
音楽をダウンロードしたりインターネットショッピングを楽しんだりしている人もい
る。
後輩の中にはスマホのいろんなアプリを使って生活をエンジョイしている人も増えて
いる。
そう考えると、僕はちょっと時代遅れの視覚障害者になってきているのかもしれない。
それでもメールというツールを手に入れたことで、
僕の見えない人生は大きく変わった。
見える人とも見えない人ともこのメールで文字のやりとりができるし、
メモ帳を使って記録もできるようになった。
そして、「書く」という仕事にもつながっていったのだ。
このホームページも目が見えなくて機械音痴という僕をサポートしてくれる管理者が
いてくださって成立している。
管理者は、僕が指定されたアドレスにメールすれば、
ここにアップされるようにホームページを作ってくださったのだ。
僕ができるのはそれだけだから誤字脱字の連絡があっても自分では修正できない。
スケジュールのアップなどもすべて管理者がしてくださっている。
ちょっと情けない実情だ。
ただ、発信していく媒体としては少しずつ成長しているのはうれしいことだ。
小学生から90歳を超えた人まで、
京都だけでなく日本のあちこちで、
いや日本だけでなくいくつかの国でもアクセスしてくださっている。
始めた頃は、ただ「見えない世界を伝えたい」という思い、願いだった。
一人でも二人でも読んでくださったらなというのが正直な気持ちだった。
ここまで読んでもらえるとは予想できなかった。
うれしい誤算だ。
そして、見える人だけでなく、見えにくい人や見えない人も覗いてくださっている。
「共感したり、教えられたり、励まされたりしています。
これからも、永く続けてください。楽しみにしています。」
30万アクセスのお祝いに届いた仲間のメールにはそう書かれていた。
光栄だと思った。
続けていきたいと強く思った。
僕の言葉が誰かの力になれるのなら、それは僕にとっても幸せなことだ。
ひょっとしたら、読んでもらうことで僕自身が励まされているのかもしれない。
(2016年2月10日)