毎年たくさんの子供達に出会う。
小学校では福祉授業、中学校や高校では人権学習、専門学校や大学などでは講義とか
特別講演というような具合だ。
大学生などはもう子供ではないのだが、
僕にとったら子供や孫という感覚の世代だ。
今日は今年最初の小学校での福祉授業だった。
4年生38名、年齢で言えば10歳の子供達だ。
4年生の国語の教科書に視覚障害の話が出てくるのもあるのだろうが、
小学校からの依頼は4年生が圧倒的に多い。
視覚障害ってどんなことなのか、
どうして視覚障害になるのか、
視覚障害になったらどんなことが困るのか、
そして、人間の生きる力の素晴らしさとか人間の社会のあたたかさとか、
エピソードも交えながら話をした。
時々笑い声も聞こえる中で
90分余りの時間が過ぎていった。
この子供達に直接伝えられるのは今回だけだという思いがあるので、
僕はいつもいつのまにか必死になってしまっている。
でも、当たり前だけど、子供達の表情は見えない。
どれだけ伝わっているのか、
どんな風に伝わっているのかは判らない。
答えが出るのはこの子供達が大人になった時だろう。
ひょっとしたら何十年も先かもしれないと思っているので、
結局、自分を信じて取り組むしかない。
授業を終えて学校を出て、同行してくれたボランティアさんと地下鉄に乗った。
途中で車いすの青年が乗車してきた。
たまたま降車駅が同じでエレベーターで一緒になった。
エレベーターが地上に到着する寸前、
「松永さん。」
車いすの彼は小さな声で僕の名前を呼んだ。
エレベーターを降りたところで僕は彼に話しかけた。
「どこで出会ったのですか?」
彼は自分が通っていた小学校の名前と自分の名前を告げた。
4年生の時の福祉授業で僕の話を聞いてくれたらしい。
高校3年生になっていた。
10歳の時に出会って8年の時間が流れていた。
僕は少しかがんで、手を差し出した。
彼の手が僕の手を包んだ。
笑顔が交錯した。
歩けないということ、僕には判らない。
子供の頃から障害を持って生きていくということ、僕には判らない。
ただ、8年ぶりに街角で偶然に再会して、
名前を呼んでもらえること、
僕はただうれしく、幸せなことだと思った。
そして今年も、出会える一人ひとりに、
心をこめて語りかけていこうと思った。
自分を信じて語りかけていこうと思った。
(2016年1月14日)