信号のある横断歩道で僕は立っていた。
青信号を確認するために車のエンジン音に耳を澄ませていた。
隣に小さな足音が近づいてきたのにも直前まで気づかなかった。
「おじちゃん、一緒に渡りましょう。」
小学校低学年くらいかと思われる男の子は、
か細い声でそう言うと、
僕の手首をちっちゃな手でギュッと握った。
意を決しての行動なのだろう。
男の子の心臓の鼓動が伝わってくるようだった。
いつもなら肘を持たせてくださいと頼むのだけれど、
僕はそのままの状態でゆっくりと笑顔で話しかけた。
「うれしいなぁ。これでおじちゃんも安心して横断歩道を渡れるなぁ。
青になったら教えてね。」
僕の手首を握っていた力がほんの少し緩んだような気がした。
「青になりました。」
さきほどよりもちょっと元気の出た声が僕に伝えた。
そして男の子は僕の手首を引っ張りながら歩き始めた。
横断歩道を渡り切ったところで、
「ありがとう。助かったよ。
こんなお手伝いをどこで勉強したの?」
僕は尋ねてみた。
「ママがね、白い棒を持った人はおメメが見えないから助けなさいって言ったから、
僕は助けました。」
男の子は早口だったけれどはっきりと答えた。
「君もおりこうさんだけど、ママも偉いママだね。
おじちゃんがママにもありがとうって言っていたって伝えてね。」
男の子は今度は「うん。」とだけ元気よく言うと、
振り返って走り始めた。
ランドセルがカタカタと音をたてながら走っていった。
「走ったら危ないよ。」
僕の声で音は止まった。
僕は手を振った。
もう一度笑顔を意識しながら手を振った。
「さようなら。」
男の子の大きな声が聞こえた。
僕はもっと大きく手を振った。
ランドセルの音はまた走り始めた。
もう僕は止めることをあきらめた。
あのままお家に駆けこむのだろう。
大昔、そんな日が僕にもあったような気がする。
(2015年10月26日)