四条大宮は道幅が細いのだが自転車の通行量は多い。
ちなみに、僕が自転車とぶつかって初めて白状を折ったのもここだった。
所謂難関地帯なのだ。
僕はバスを降りて慎重に歩き始めた。
しばらく東の方向に歩くと白状の音が微かにこだまする地点がある。
そこで北に向くと細い路地を通ってバス停に向かうことができる。
ちょっと近道だし自転車も通らない。
ただ通り抜けた先がお店のすぐ横になる。
そこから進路を変更してバス停の点字ブロックまでたどり着くには
もう一仕事ということになる。
進路変更の場所は数十センチの範囲だから、
そこを探すには集中力を高めないといけない。
行き過ぎれば車道に飛び出るということになってしまう。
とても危険な場所なのだ。
今日もお店の横で方向を変える場所を探そうとしたら、
「お手伝いしましょうか?」
女性の声がした。
こういう場所での声は天使の声だ。
僕はすかさずバス停までのサポートをお願いした。
彼女も途中まで一緒のバスだった。
僕は安心して移動しバスに乗車した。
そして空いてる席に座らせてもらった。
本当にうれしくて、僕はいつものように「ありがとうカード」を渡した。
僕が見えていた頃、
白杖の人に声をかけるなんてできなかった。
声をかけていいのか、
声をかけること自体が失礼ではないのか、
何と声をかければいいのか、
あれこれ考えて、結局何もできなかった。
それは視覚障害者だけではなく、他の障害者の人にも同様だった。
差別とかの気持ちはなかったはずなのだが、
無意識に区別していたのは事実だろう。
僕が見えなくなってからのこの18年を振り返ると、
声をかけてくださる人は少しずつかもしれないけれど増えている。
視覚障害の友人達に尋ねても同じように感じているようだ。
悲しいニュースは後を絶たないけれど、
社会が豊かになってきているのも事実だ。
成熟ということなのかもしれない。
しかも声のかけ方も堂々としていてセンスがある人が増えている。
「お手伝いしましょうか?」
何度聞いても美しい響きの言葉だ。
声をかけてもらう僕も素敵にサポートを受けられるようになりたい。
(2015年10月7日)