視覚障害者がよく訪れる施設のローカ、
雰囲気でお互いを確認できた全盲同士の僕達は、
「久しぶり、元気?」
「まあまあですよ。松永さんもお元気ですか?」
「うん、相変わらずかな。」
通り一遍の挨拶みたいなものを交わしてすれ違った。
数歩進んだ辺りで後輩の声が背中から追いかけてきた。
「あのう、時々、ブログ読んでいます。」
彼はそれだけを僕に伝えた。
内容がいいとか悪いとか、
どんな感想を持ったとか、
そんなものは一切なかった。
口数の少ない彼は、読んでくれているという事実だけを僕に伝えた。
僕は照れ臭かったけれど、とってもうれしかった。
親子ほど年齢も違うし、協会では副会長の僕はいつも先輩面をしている。
だいぶ前、彼と食事をした時、
彼が3歳くらいで失明したことを知った。
見た記憶はあるかとの僕の問いかけに、
「その頃家族で海に行ったのですが、その時の海の色を憶えているような気がするん
ですよ。たぶん、いやきっと、海の色だと思うんですよ。」
彼は恥ずかしそうに笑った。
僕は40歳近くまで見えていたから、
見たという経験を持っているし思い出もある。
見えなくなった今、ひとつひとつの思い出が宝物だ。
僕がいくら先輩面をしても、きっと彼を理解することはできないのだろう。
ただ、見えない仲間として、
どこかで共感できることはやはり人間の豊かさだと感じている。
いつ見えなくなったのかとか、
見た記憶があるかないかなど、
違う部分もいくらかは存在するのは否定しない。
でも、人間同士はその違いを認め合って超えていく力を持っているのだ。
そしてその力は見える人と見えない人との違いも超えていくのだろう。
彼が見た海、いつか僕も一緒に見れたらうれしいだろうな。
(2015年8月24日)