今年最初のセミの鳴き声に気づいて
気持ちはそちらに向いていたのだろう。
団地から歩道に出る付近で
縁石につまずいてよろけてしまった。
技術的には白杖の振幅が少なかったということだ。
この程度のことは日常茶飯事で
ひっくり返ったりケガをするようなことはない。
いや、今はない。
もう少し年をとったら咄嗟の判断力や運動能力は低下していくのだから
気をつけなくてはと思っている。
よろけた瞬間
「だいじょうぶですか?」
若い女性の声がした。
僕は御礼を言って道の方向を教えてもらった。
そしてその会話の流れから、
いつもの交差点を渡るサポートをお願いした。
見えない僕が単独で社会に参加するには、
このお願いをしっかりできるかが大きなポイントなのだ。
見える頃から努力は苦手で、
他力本願のお願い上手だったことが生きてきたのかもしれない。
短所が長所に変化することもあるのだ。
彼女の肘を借りて歩きながら、
彼女が小学校か中学校の時に僕の講演を聞いてくれていたのが判った。
僕の名前も憶えていてくれた。
「じゃあ、学生さんですか?もう働いているのですか?」
「今、反対の手で赤ちゃんを抱っこしています。」
彼女は笑った。
見えなくなっていろいろな活動をするようになって、
もう18年くらいの時が流れたのだ。
出会った時子供だった人達が大人になり、
パパやママになっている人もいるのだ。
僕自身もそれだけ年齢を重ねたということになる。
「貴女がこうしてサポートができるということは、その赤ちゃんもきっとできる人に
なりますね。」
横断歩道を渡り切ったところで僕は彼女に感謝を伝えた。
「この辺りに住んでいますから、また声をかけますね。」
赤ちゃんを抱っこした彼女が微笑んだ。
僕はすがすがしい気持ちでまた白杖で歩き始めた。
そしてひょっとしたら、よろけたのは偶然ではなくて、
いつまでも若い気持ちでいる過信のせいかもしれないとちょっとだけ不安も感じた。
しばらくは自己観察してみます。
(2015年7月15日)