1978年、21歳の夏だった。
ラジオから流れた青葉城恋歌を聞いて仙台へ行ってみたくなった。
京都駅から鈍行列車に乗り込んだ。
大学生だった僕はお金はなかったが時間だけはあった。
途中の駅で仮眠をとりながらの一人旅だった。
どれくらいの時間がかかったかも憶えていない。
車窓からの風景を見たり、
地元の乗客の方言を聞いて楽しんだりして時を過ごしたと思う。
パソコンも携帯電話もない時代だったのだから、
退屈になったら文庫本を読んだりしていたのだろう。
仙台駅へ着いた時ホームには青葉城恋歌のメロディが流れていた。
それだけで幸せだった。
満ち足りた心のまま青葉城址を尋ね広瀬川を眺めた。
それから足を伸ばして松島や瑞巌寺を散策した。
宿泊施設に泊まるような余裕はなかったので、
夜はパンをかじりながら駅の待合室などで過ごした。
生きる意味なんてまだまだ考えてもいなかったはずなのに
幸せの探し方は判っていたのかもしれない。
37年ぶりの仙台、記憶にある風景を確かめることはできなくなってしまっていた。
幸せの探し方があの頃よりも特別に上手になったわけでもない。
でも、生きている意味はきっとたくさん学んできたのだろう。
松島の浜辺に建つ震災の記念碑を触りながら、
そこに佇んでいられる自分に幸せを感じた。
あの風景を眺めてから37年という時間、
生きてこられたことにただただ深く感謝した。
(2015年7月1日)