昨年末に父が他界して半年が過ぎた。
時は急ぐこともなく止まることもなく淡々と流れていく。
仏壇に手を合わせた後母と二人でお茶を飲む。
それぞれが歩いてきた人生のいくつかの岐路を懐かしそうに振り返る。
静かに振り返る。
親という立場で子供という立場で振り返る。
母は見えなくなった息子を眺めるのにも少しは慣れてくれたようだ。
記憶は突然20年ほど前を映し出す。
母は夜、布団の中で何度も泣いたらしい。
僕が失明した頃だ。
その頃の僕には父や母の思いに寄り添う余裕はなかった。
やっと言葉にできる日がきてくれたことにほんの少し安堵する。
時折流れる5月の風に乗せた言葉を父の遺影がそっと見つめる。
「かあちゃん、一日でも長く生きていてね。
ただ生きてくれているだけでいいから。」
58歳になった馬鹿息子が88歳の母に恥しげもなく懇願する。
「それはわからんなぁ。一日一日の積み重ねの先に寿命があるからなあ」
微笑んだ母が子供をさとすようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
(2015年5月5日)