盲導犬が刺されたとか視覚障害の女子学生がけられたとか、
残念なニュースが流れる。
こんな悪い奴は許せないと、
コメンテイターが正義をふりかざす。
専門家という人が社会の堕落を嘆き、
その不安定さを指摘する。
テレビの前の僕は、ただじっとそれを受け止める。
でも、でもね。
何か拍手をする気にはなれない。
僕達に声をかけてくださり、手伝ってくださる人の数、
間違いなく増えている。
見えなくなって一人で歩き始めて17年、
罵声を浴びせられたのは2回だけある。
やさしい声をかけられたのは万という数字を超えているだろう。
昨日の帰り道、バス停で待っている僕の手を、
おじいさんが握った。
「何番のバスに乗るんだい?」
僕の乗りたいバスの乗り場の先頭まで連れて行ってくださった。
僕は安心してバスに乗り、地元のバス停で降りた。
横断歩道を渡る時は、
女性の人が大丈夫ですかと声をかけてくださった。
僕は横断歩道を渡る間だけ、肘を持たせてもらった。
それから買い物をするために、近所のスーパーに立ち寄った。
白杖に気づいたお店の人が、
買い物を手伝ってくださった。
買った商品をリュックサックに入れることまで手伝ってくださった。
それから、クリーニング屋さんに立ち寄って、
頼んでおいたズボンを受け取った。
店員さんは、僕がクリーニングの袋を下げて歩くのが大変そうと、
とっても心配してくださったが、
僕が大丈夫と言い続けるので、やっと出口であきらめてくださった。
それでも、僕が横断歩道にたどり着くまで後ろから見てくださっていたのは判っていた。
自宅のある団地に近づいたら、
「おかえり」
どこかの男性の声。
僕は誰か判らないけど、
「ただいま!」
今日も、見知らぬ人に何人も声をかけてもらい、手伝ってもらい、
見えない僕の普通の生活が成り立った。
これも、間違いなく、社会の現実。
(2014年9月14日)