専門学校や大学などの非常勤講師の仕事をしているので、
毎年多くの学生達に出会う。
専門学校は半期の講座なので90分の講義を15回、
大学は通年なので30回することになる。
教室という空間でそれだけの時間を共に過ごすのだが、
学生の氏名はほとんど記憶していない。
数が多いということもあるだろうし、
画像がないということも大きな理由になるかもしれない。
それに、記憶が極めて苦手なのは自他共に認めていることだ。
学生達の氏名は憶えられないけれど、
講義の中では実習なども取り入れて、
思いや希望を伝えられるように努力はしている。
ただこれも、学生達の表情も判断できないし、
どれだけ伝えられているのかは自信はない。
未来に向かっての種蒔きだと自覚している。
一粒でも多くの種が、それぞれに発芽してくれますようにと願っている。
今日は京都府の相談支援の研修会での講師の仕事だった。
いわゆる講演というやつだ。
500名近くの受講者に、50分で僕達の思いを伝えなければならない。
難しいのはやる前から判っているので、
気取らずに飾らずに、いつものように語り掛けた。
少しでも伝わればいい、決して投げやりではない正直な思いだ。
講演が終わった後、数人の受講者が感想を届けてくださった。
その中に、二人の教え子がいた。
6,7年前に専門学校で僕の講義を受けたという彼女達は、
それぞれに福祉の現場で活躍されている様子だった。
話しぶりにもふるまいにも大人の女性の品位も感じられた。
僕自身は年を重ねただけで、
何も成長がないような気がして少し恥ずかしく感じた。
会場を後にして歩きながら、
「教え子」という言葉を思い出した。
教え子とは、教えた子ではなくて教えてくれる子なんだと気づいた。
教え子とのうれしい再会だった。
(2014年8月14日)