今年度から月2回のピアカウンセラーの仕事を引き受けた。
ピアというのは「仲間」という意味があるらしい。
まる一日を月に2回も取られるということでだいぶ迷ったのだが、
四か月目を迎えた今、この仕事に出会ったことに心から感謝している。
障害を持って生きている仲間の話を聞くことが、
実は、僕がどう生きていかなければならないかの道標になってきているのだ。
今日話を聞かせてくださった73歳の全盲の女性は、
九州の離れ小島で生まれ育ち、幼い頃にはしかで失明したのだそうだ。
何かを見たという記憶はない。
子供の頃、島には車もなく安全だったので、
近所を自由に歩き回っていた。
白杖などはなかった。
時々、牛に蹴飛ばされたそうだ。
学校にはいかなかった。
いや、いけなかった。
「学校というところにいってみたかったなぁ。」
彼女は淡々と言葉をつむいだ。
ばあちゃんが少しの算数と、包丁の使い方を教えてくれた。
そして、切り干し大根を作る手伝いなどをした。
島だから、毎日魚を食べて暮らしていた。
玄米ごはんと野菜と、父ちゃんがとってくる魚、
本当に毎日食べていた。
だから、刺身が大好きになったのだそうだ。
50歳の頃、両親と死別し、
仕方なく島を離れて、この施設にきた。
もう帰る場所はないのだから、
ここに居られなくなったら老人ホームに入ると決めている。
「ひとりぼっちだからね。」
彼女はさみしそうにつぶやいた。
ただ、そんな気配はその時だけだった。
施設での作業が上手になってきていること、
編み物もできるようになったこと、
痛かったひざが治って、また散歩ができるようになったこと、
それぞれの言葉には笑顔が添えられていた。
日常をしっかりと受け止めて生きていく姿があった。
「今、何か望むことはありますか?」
僕の質問に、
「島で育ったから、やっぱり刺身を食べたいなぁ。」
あまりにもささやかな願いを口にして、
彼女は恥ずかしそうに笑った。
僕はこぼれ落ちそうになるものを、じっと我慢した。
ふたりぼっちの部屋の中、
向かい合って座っている全盲同士の間の時が止まった。
しばしの沈黙が流れた。
集団生活の施設の給食では、
刺身が出ることはほとんどない。
全盲の彼女が外食に行くこともない。
いや、一か月2万円あまりの工賃の彼女のお財布には、
そんな余裕もない。
運命とか、時代とか、能力とか、
分析をする言葉はいくらでもあるだろう。
でも、それは何の力にもならない。
そして話を聞いた僕にも、彼女の人生に寄り添うことはできない。
ただ、僕にもできること、
沈黙の後にささやかな提案をしてみた。
「74歳のお誕生日、僕と刺身を食べに行きませんか?」
彼女は肯定も否定もしなかった。
そして、うれしそうに笑った。
もしかしたら、ひとりぼっちの彼女のともだちになれるかもしれない。
(2014年7月10日)