京都府下全域から、それぞれの地域で暮らす視覚障碍者が集まった。
年に一度の京都府視覚障碍者協会の総会、
梅雨空の雨の下、会場の京都市内にあるコンベンションホールは300人の熱気に包
まれた。
北は舞鶴市や京丹後市から、
南は奈良県と接する木津川市から、
遠方の人は5時過ぎには家を出たと言っておられた。
そこまでして、人は何故集うのだろうか。
障碍者の中で、こういう運動に参加しているのは2割にも満たないくらいの数だ。
よくメリットはと尋ねられるが、特別なものはない。
再会の握手をし、肩をたたき合い、同じ未来を見つめる。
ただそれだけかもしれない。
お金も名誉も要りませんという人もおられるが、
凡人の僕は、名誉には興味はないけれども、
やっぱりお金は欲しいと思っている。
協会の活動に参加すれば、
まして役員などを引き受ければ、持ち出しは結構なものだ。
それでも引き受けるのは、何故だろう。
なんとなくなのだけれど、あえて言い表せば、ミッションというやつだろうか。
「一人ぼっちの視覚障碍者をなくそう!」
僕達の協会のキャッチフレーズだ。
たったこの一行のメッセージがすべてを語っている。
光を失った時、それを簡単に受け止める程、人は強くはない。
その状態で生きていく時、まだまだ社会は成熟しているとは言えない。
それでも、人は生きていくことを選択する。
いや、生きていかないことを選択するほどのものは、
基本的には存在していないのだろう。
階段の上から、
「頑張れよ。」と先輩達の力強い声が聞こえる。
「ゆっくりでいいんだぞ。」とやさしい声が聞こえる。
後ろを振り返ると、
立ち尽くして呆然としている後輩達が見える。
「だいじょうぶ。だいじょうぶ。」
僕はささやく。
それはひょっとしたら、過去の僕なのかもしれない。
もう一度振り返って、再度上を見上げても、
頂上は見えない。
見えないから上るんだ。
来年の再会までに、もう3段くらいは上っていたいな。
(2014年6月22日)