年が明けて、やっと日常が落ち着き始めたこのタイミング、
今年に入って三度目の日曜日、
いくつかの新年会が開催され、参加した。
一つ目は、僕が暮らす京都市西京区の視覚障害者協会の新年会、
午前中、身体と心の健康を願ってのヨガの勉強をし、
お坊さんの説法を聞いた。
それから、ちょっと豪華なお弁当を頂いて、
皆で今年の抱負などを発表した。
最後のゲーム大会では、視覚障害者、家族、ボランティア、皆が笑顔になって楽
しんだ。窓の外では、僕達をお祝いするように、小雪が舞っていた。
終了後、僕はすぐに移動を開始して、
夕方からの、北区の視覚障害者協会の新年会に出席した。
これは、役員として挨拶をするためで、
いわゆる来賓というやつだ。
挨拶だけして帰ることもできるのだが、
時間が許す限り参加することにしている。
僕よりずっと早く見えなくなった先輩達に、
いろいろ教えてもらういいチャンスだ。
そして、仲間達と、未来を語り合う。
勿論、飲みすぎて、ろれつが回らなくなって語れない状態の人もいるが、
それも新年らしい愛嬌だ。
胃袋も心も満足して帰宅したのは、21時過ぎだった。
しばらくして、携帯電話が鳴った。
受話口から、ハッピィバースディの合唱が流れてきた。
鹿児島県薩摩川内市の風の会の新年会だ。
「風になってください」の出版直後、
故郷の高校時代の同級生達が、
僕を支援する風の会を立ち上げた。
毎年、秋になると、故郷での講演会を企画してくれる。
そして、滞在時の世話もしてくれる。
講演を聞いてくれた人の数が、8年で1万人を超えた。
その風の会の新年会、
皆が1月生まれの僕に、
ハッピィーバースディの歌と笑い声を届けてくれたのだ。
高校時代に出会った仲間達は、高校生みたいな素敵なことをやってのける。
歌声を聞きながら、幸せだなって思った。
そして、電話を切った時、
ふと北区の新年会で出会った先輩を思い出した。
生まれつき見えない先輩だ。
見えなくなった頃、
僕は、僕自身を不幸だと思いそうになった。
そんな僕を、彼は笑い飛ばした。
笑うことで、きっと何かを伝えたかったのだろう。
今日、彼と久しぶりに話をした。
帰りがけに、彼が僕に握手をもとめた。
「松永さん、頑張ってくださいね。」
なぜか、彼は強い力で僕の手を握り、
離そうとしなかった。
しばらくの間、僕はそのままでいた。
「また、お会いしましょう。きっと。」
それだけを言い終わると、なぜか、目頭が熱くなった。
人は、誰かの力になりたいと、自然に思うものなのだ。
見えても見えなくても、皆同じだ。
今日出会ったすべての人達、ありがとうございます。
僕に幸せの意味を教えてくださって、ありがとうございます。
(2014年1月20日)