Category: 松永信也からのお知らせ&エッセイ

未来の女医さん

春の桜、秋の紅葉、京都にはたくさんの観光客が訪れる。
駅も人でごった返す。
今朝の桂駅でもそれは始まっていた。
春休み、金曜日、あちこちの桜が五部咲き、七部咲き。
仕方ない。
僕は、いつもより集中力を高めて、ホームで電車を待っていた。
ふと、少女の声がした。
「松永さんですね。」
少女は、一昨年、学校で僕の話を聞いてくれていて、
憶えていてくれたのだ。
しっかりと自己紹介をして、サポートを申し出てくれた。
僕達は、偶然、行き先の駅も同じだった。
僕は、少女のサポートを受けることにした。
ラッシュアワーのような混雑した電車に、
少女は上手に僕を誘導した。
電車に乗り込むと、僕の手をとって、手すりを触らせてくれた。
それはとても自然で、まるで、訓練を受けたガイドさんのようだった。
電車の中での短い会話で、
少女がお医者さんを目指していることが判った。
少女のやさしさと、冷静な判断力は、
とても似合っている職業だなと思った。
11歳の、背丈もまだ僕の胸くらいまでしかない少女が、
僕にはとても頼もしく感じられた。
電車が駅に到着すると、
少女は、エスカレーターを僕に説明し、乗り方までも確認した。
見事なサポートだった。
改札口に着いて、ありがとうを伝えると、
少女が微笑んだ。
はにかんだ未来の女医さんの笑顔は、桜色に染まっているような気がした。
(2013年3月29日)

夜桜

連日、朝から夜までの外出が続いている。
ほとんどが、講習会の講師と会議だ。
どれかを削ればとも思うのだが、
どれも大切な内容だ。
結局、午前、午後、夜と、いくつかの会場をはしごしたりする。
年度末でもあるから、仕方がない。
昨夜も、最後の会議を終わって会場を出たのは、
21時頃だった。
一緒に会議に出席した人が、
通り沿いの民家の庭先の桜が満開だと足を止めた。
彼の声は、僕に伝えながら、桜の木に向かった。
僕もつられて、首をあげた。
しばらく、無言で桜を眺めた。
桜が、僕を見つめてくれた。
なんとなく、ほっとした気持ちになった。
なんとなく、笑顔になった。
(2013年3月27日)

握手

年に数回の集い、
彼女とはそこで会う。
そして、いつも5分間くらい、
それぞれの思いを語る。
自由に語る。
それぞれの立場や役職を背負って会うのだが、
いつの間にか、同じ未来を見つめるともだちという感覚になった。
語るということ、言葉の力だろう。
その彼女が異動になるらしい。
僕は、ちょっと寂しいなと思いながら、
右手を差し出した。
「いつも、ありがとうございました。」
感謝を伝えた。
彼女は、僕と握手し、
そして、左手で握手している僕の右手をそっと包んだ。
無意識の行動だ。
そして、それがすべてを伝えていた。
彼女のぬくもりが、手から伝わってきた。
出会えて良かったなと、心から思えた。
見えなくなってから、
心を通わす人達とは、よく握手するようになった。
表情が見えないから、別の感覚で確認しようとしているのかもしれない。
そして、ただ握手するだけでなく、
相手の手を強く握ったり、
何かを伝えようとする。
時には、僕自身も、相手の手を両手で包むようにしていることがあるらしい。
無意識だ。
僕がそうしていることを教えてくれたのは、
男友達だから、性別に関係はないようだ。
門出の季節、皆さんもどこかでどうぞ。
(2013年3月22日)

点字講習会

京都市の中途失明者点字講習会の卒業式に参加した。
寒い季節の講習会は、たった3人の参加だった。
40歳で失明した僕自身も、
それから点字を学んだので、
それがどんなに大変なことかも判っているし、
実際、点字を読むスピードも遅い。
点字を読めるようになるには、
失明と向かい合い、受け止め、学ぼうとする気持ちと根気が大切だ。
そして、それをサポートする講師と教えてくれる場所も必要になってくる。
幸い、僕の暮らす京都市にはそれが整っているが、
日本全体で考えると、
学ぶチャンスさえない中途失明者の方が多いのだろう。
日本全体で、機会が保障されるようになってと願う。
修了証書に書かれた点字の文章を、
僕は、左手の人差し指でたどたどしく読んだ。
心を込めて読んだ。
終了後、一人の卒業生が感想を述べられた。
「もう少し読めるようになったら、小学校などで子供達に伝えるのが、僕の夢で
す。」
70歳を超えてほとんど見えなくなった彼は、
堂々と夢を語った。
とても素敵だった。
学ぶという気持ちは、夢や希望を生み出すのだろう。
どんな状態でも、どんな時でも、やっぱり大切なことなのだ。
(2013年3月22日)

頭の中の地図

家を6時に出て、京都駅を7時過ぎの新幹線で東京へ向かい、
会議が終了してすぐに帰路に着いても、
帰宅は22時になる。
日帰りの東京はつらい。
さすがに今朝は寝坊して、
友人達とのランチの待ち合わせに少し遅れた。
遅れても、ちゃんと待っていてくれる友人達だ。
久しぶりの休日、仲良し3人でのランチは、穏やかで豊かなひとときだった。
美味しいものを食べると、心まで満足する。
食いしん坊なのかなぁ。
帰りに、阪急河原町駅まで送ってもらったら、
駅は改装工事が終わって、
リニューアルしていた。
記憶にあった駅の見取り図を書き換えなければいけない。
これは結構大変な作業だ。
目があれば何でもないことが、
とても難しくなる。
何度も点字ブロックに沿って歩きながら、
頭の中の古い地図を消して、
新しい地図を描いていく。
納得するまで何度も歩く。
友人達は、そっと後ろから着いてくる。
僕が単独歩行の時は、命がけでここを歩かなければいけないことを、
友人達は理解している。
だから、何度でも付き合ってくれる。
何度か歩いて、やっと地図が完成。
一人で改札を入って、
ホームへつながる階段にたどり着いた時、
改札の向こうから、
「今日はありがとう。さようなら」の声が聞こえた。
きっと、祈るような気持ちで、僕の姿を追いかけてくれていたのだろう。
無事階段の入り口にたどり着いた僕に、
エールを送ってくれたのだ。
僕の目になってくれる人がいる。
僕の杖になってくれる人がいる。
それは、とっても幸せなこと。
しっかりと白杖を持って、未来に向かって歩いていくよ。

(2013年3月19日)

サイン会

午前中に、ガイドヘルパー現任者研修での講演だった。
会場は、定員150人満員だった。
希望制の研修会なので、意識の高さを感じた。
いつも、僕達のために活動してくださっている人達に、
感謝を込めて、そして、更なるスキルアップをお願いしながら話をした。
それなりのメッセージは伝えられたと思う。
そこから、四条烏丸まで移動して、
ランチをすませ、
いよいよ、本屋さんでのトークショー、サイン会。
久しぶりに、不安を抱えて、緊張して会場に入った。
若干名の知り合いが来てくださるのは知っていたが、
それ以外は未知数だった。
前日の段階でも、入場整理券は、ほとんど動いていなかった。
大きな看板を作り、ポスターを貼り、
企画してくださった本屋さんや出版社のことを考えると、
ガラガラだったら申し訳ないという思いがのしかかっていた。
控え室でお茶を頂いている時、
準備した椅子が満席になったと情報が入った。
安堵した。
1,050円というお金を出して本を購入し、
時間を使って来てくださった人達に、
感謝の思いがわきあがった。
一冊一冊に、心をこめてサインした。
見えなくなって16年、
たまたま本を出すチャンスがあり、
たまたま、その本が支持された。
そして、2冊目、3冊目につながり、
講演などの機会も増えた。
僕達も参加しやすい社会に向かって、
手をつないでくれる仲間達、
エールをおくってくださる人達、
皆様のお陰だ。
メッセージを発信するチャンスがあるということは、
それ自体、幸せなことだろう。
ひとつひとつの言葉を大切にしながら、
ひとつひとつの出会いに感謝しながら、
しっかりと活動をすすめていこうと誓った。
(2013年3月17日)

缶ビールの若者

ライトハウスでの会議が終わったのは、
20時半を過ぎていた。
サポーターと一緒にバスに乗り、
大宮から電車に乗った。
電車は、結構込んでいた。
サポーターが、僕の手を持って、
吊革を触らせてくれた。
間もなく、僕の前で、何かレジ袋のすれるような音がした。
ひょっとしたらと思った瞬間、
「席をゆずってくださいました。」
サポーターの声がした。
僕は、その席に座り、
「ありがとうございます。助かります。」
声を出した。
席をゆずってくださった人が、
どちらに動いたかまでは判らないので、
その辺におられる方には届くようなボリュームにしている。
しばらくして、電車は桂駅に着いた。
ドアに向かって移動しながら、
「ありがとうございます。」
席をゆずってくれたであろう人に向かって、
サポータが御礼を伝えていた。
あたたかな、やさしい声だった。
改札へ向かいながら、
「20歳代の男性、左手にスポーツ新聞、右手には飲みかけの缶ビール、
モジモジした後、意を決して立ったみたい。
降りる間際、照れくさそうな顔をしていたわ。」
と説明してくれた。
降りる間際の、
サポーターの声が、
とてもやさしかった意味が判った。
「今頃、残りのビール、飲み干しているかな。おいしいだろうな。」
僕は笑った。
(2013年3月16日)

トークショーとサイン会のお知らせ

今度の土曜日、3月16日の午後3時から、
四条烏丸の交差点から北に50メートル上がった西側にある、
大垣書店四条店で、
僕のトークショーとサイン会があります。
現在、大垣書店四条店で、
「風になってください2」を購入してくださった方に、
入場整理券が配られています。
先着50名だそうです。
そんなに来られるとは思っていませんが、
誰も来られないのも、
企画してくださった本屋さんにも気の毒ですし、
申し訳ないです。
僕自身は、一人でも来てくださったら、
心をこめてメッセージを伝えようと思っています。
そして、全盲の著者を迎えてのサイン会なんて、
さすがに京都らしいなと、
豊かな気持ちになっているのも事実です。
HPを読んでくださっておられる方々で、
時間の都合のつく方は、
どうかお越しください。
宜しくお願い致します。
(2013年3月10日)

いかなごの釘煮

「あのう、いかなごの釘煮、食べはりますか?」
別件の用事の電話の後、
彼女はそっとささやいた。
いかなごの釘煮は、阪神地域の郷土料理で、春を知らせるものだ。
瞬時に、彼女が、僕に春をプレゼントしようとしてくださっているのがわかった。
「ありがとうございます。」
僕は素直に返事して電話を切った。
早速、頂いたいかなごの釘煮でごはんを食べた。
わざと、他のおかずはなしで、
ただ、炊き立ての白いごはんといかなごを食べた。
おかわりをして食べた。
春の柔らかさと、彼女のやさしさが、
しみじみと、口中に広がり、身体中に拡散した。
彼女は、僕より年上で、人生の先輩だ。
ただ、失明は、僕が先輩になる。
経営者として頑張っていた彼女に、
失明の不安が訪れた頃、
僕は彼女に出会った。
僕がそうだったように、
失明ということでは、少し前を歩いている僕と出会うことで、
彼女はほんの少し、ほっとしたらしい。
それから、10年近くの歳月が流れ、
確かに、彼女の目は、だいぶ悪くなった。
でも、例えば点字を読むことも、
彼女は僕よりも上手になった。
しっかりと前を向いて、経営者としてバリバリ頑張っていた頃と、
何も変わらない生き方をしておられる。
大阪と京都を行き来しながら、
仲間や後輩達のために、心血を注いで活動しておられる。
その姿勢には、自然に頭が下がる。
今度は、彼女に出会ってほっとする人がいるに違いない。
「ごちそうさまでした。」
僕は合掌して、声を出した。
(2013年3月9日)

心も春!

地下鉄四条駅。
階段の終わりまでもう少しというところで、
ホームに入ってくる電車の音が聞こえ、
僕の乗る予定の電車であることもアナウンスで確認できた。
僕がホームに着いた時には、
既にドアが開く音がして、
お客さんの乗降が始まっていた。
ここで急ぐのは、僕達には危険、
僕は、乗車をあきらめて、動きを止めた。
その瞬間、
「国際会館方面?」とマスク越しのおじいさんの声がした。
僕が返事をすると同時に、
おじいさんは僕の手を自分の肘に誘導して、
急いで動き始めた。
無事電車に乗ると、おじいさんは僕の手をとって手すりをつかませてくださった。
それから、すぐに離れられたので、
僕は御礼を言うことはできなかった。
つまり、見失ったのだ。
電車が次の駅に着き、僕は予定通り下車した。
ホームの点字ブロックの上に立ち、
僕は後ろを振り返ってきおつけをして、
深く頭を下げた。
おじいさんがいなければ、僕は一本後の電車になって、
予定の会議に遅刻していただろう。
おじいさんがこちらを見てくださっているかは判らないけれど、
自然にそういう動きになった。
それから、東西線に乗り換えるために、
エレベーターに向かった。
エレベーターに乗って、
行き先ボタンを探そうとしたら、
「東西線ホーム?」、
今度はおばあさんの声だった。
はいと返事をする僕に、
「今日はあたたかいね。」
おばあさんは挨拶をくださった。
「春ですね。」
僕は返した。
たった数秒、僕達はエレベーターの中で微笑んだ。
ホームに着いて、行き先を尋ねてくださった。
同じ方向だった。
おばあさんは、僕を手引きして電車に乗り、
空いてる席に座らせてくださった。
僕は、そっと、ありがとうカードを渡した。
ありがとうカードの表面には、
声をかけてサポートしてくださった人への感謝の言葉が印刷してある。
裏面には、ホームページの案内もある。
「ホームページがあるの?今度見てみるわね。」
僕はつい、「えっ!」と言ってしまった。
おばあさんは小声で、
「73歳」と打ち明けて笑った。
そして、「このカード、心があたたまるね。」
電車が市役所前駅に着いた。
おばあさんは、ドアまで誘導して、
僕を見送ってくださった。
僕は、手を口元につけて、
「心も春!」と叫んだ。
おばあさんの笑う声が聞こえた。
ドアが閉まった。
昨日、さわやかな若者の声を書いたけど、
そのせいかなぁ。
今日は、素敵なおじいさん、おばあさんの声でした。
やさしさに、年齢はないってことですね。
(2013年3月8日)