最近の天気予報はよく当たる。
雨が降り出したり止んだりする時刻まで当てるのだから凄い。
でも当たり過ぎると、僕はなんとなく淋しい気もしている。
人間の力、科学の及ばない領域もあって欲しいような感じだ。
靴を空に向けて蹴り上げて雨占いをした少年時代が懐かしい。
今朝もちょっとドキドキしながら玄関のドアを開けた。
耳を澄ませて音を聞いた。
こういう瞬間は好きだ。
雨の音がした。
土砂降りではないけれど、ちゃんと降ってくれている。
僕はついガッツポーズをしてしまった。
数日前に夏野菜の苗を植えたのだ。
ミニトマト、キュウリ、ピーマン、ゴーヤなどだ。
植えてから毎日夕方に水をやった。
天気予報を聞いて昨日は水はやらなかった。
植えてから数日が経過したこのタイミングでのしっかりとした雨は最高だ。
苗達は大喜びしているだろう。
これから、草抜きをしたり肥料をやったりと、いろいろ世話に追われることになる。
農作業とまでは言えないが、この作業の時間は好きだ。
無心になっている。
無心になれる時間は人を幸せにしてくれるのかもしれない。
そしてそれは意外と少ない。
大切にしたいひとときだ。
(2025年4月24日)
Category: 松永信也からのお知らせ&エッセイ
天気予報
チューリップ咲いた
どれくらい前だろう。
2週間くらい前だろうか。
プランターで育てたいくつかを触った。
葉っぱは大分大きくなっていた。
蕾にさえ気づかなかった。
仕事に出かける前の10分くらいの時間だった。
その時、頑張れよと声をかけたのを憶えている。
以前誰かに聞いたことがある。
植物は話しかけると伝わる。
「きれいな花を咲かせてね。」
「元気に育ってね。」
言葉にすることが大切らしい。
僕は犬、猫、小鳥、いろいろ飼ったことがある。
動物達もそうだった。
話しかけると伝わっていたような気がする。
僕がくじけていた時、犬は僕の顔を舐めてくれた。
猫は膝の上でくつろいでくれた。
僕がうれしい時、小鳥達は歌ってくれた。
人間以外の生き物は皆言葉が理解できて、
自分では一番能力が高いと思っている人間だけがそれができないとしたら面白い。
以外にそうなのかもしれない。
チューリップの大きな花を触った。
両手の指先でそっと触った。
赤いチューリップ、黄色いチューリップ、春によく似合う。
笑顔になった。
「ありがとう。」
僕はしっかりと伝えた。
(2025年4月18日)
英国パビリオン
大阪・関西万博がスタートした。
僕は英国パビリオンのコンサルタントとして少し準備に関わった。
英国在住の日本語通訳の専門家が僕を推薦してくださったのだ。
彼女は僕の著書を読んだ経験を持っておられて、僕を思い出してくださったのだ。
こういうことを奇跡と言うのだろう。
幸運の奇跡だったと思う。
ロンドンとのzoom会議は彼女が通訳をしてくださった。
やりとりしたメールは100通を超えた。
事前のやりとりだけではなく、夢洲の英国パビリオンに足を運んでの確認なども実施
した。
開会式前日にはスタッフ研修にも関わった。
英国のアクセシビリティアドバイザーのシェリーさんとは一緒に仕事をした。
彼女は会場内の僕の移動のサポートも問題なくやってくれた。
英国に全盲の友人がいるとのことだった。
彼女は日本に滞在している期間のオフの日に京都を訪れて迷子になって大変だったと
いう話をしてくれた。
日本での最後の仕事が終わったら、奈良を訪ねてから帰国の予定とのことだった。
「奈良公園にはたくさんの鹿がいて、目を合わすと噛まれるかもしれないよ。」
アクセシビリティについて本気で語り合ったし、そんな冗談も話した。
僕は彼女と別れた後、感謝のメールを送っておいた。
機械翻訳でなんとかなるのだ。
彼女から返信があった。
シェリーです。
日本滞在はこれで最後です。
信じられないかもしれませんが、最近の不運にも関わらず(!)、
奈良で野生の鹿から生き延びることができました。
鹿と目を合わせないようにし、他の観光客を巧みに自分と狂った獣の間に配置しまし
た。
最近の出来事にも関わらず、今回は駅員の助けも借りずに、問題なく奈良駅から脱出
することができました!!
ノブヤさん、メールを本当にありがとうございます。
今までに受け取った中で最も美しいメールだと思いますし、私にとってとても意味の
あるものです。
私たちは「すべての人にアクセシビリティを」という共通の目標を持つ似たような精
神を持っているように感じます。
一緒に仕事ができてとても嬉しく、貴方に会って話をすることができて光栄でした。
また EXPO に戻ってきたいです。
そうなったら必ず連絡します。
京都で一緒に時間を過ごせたら嬉しいです。
京都駅以外にも案内してもらえたらもっと嬉しいです!
連絡を取り合いましょう。
何らかの形で一緒に仕事ができて、世界中のアクセシビリティの取り組みを繋げて、
障壁をなくし、生活を変えられたら素晴らしいと思います。
心からお祈りしています
シェリーより
「いのち輝く未来社会のデザイン」。
大阪・関西万博のテーマだ。
世界中のいのちが大切にされる地球であって欲しい。
いのちが大切にされるということは、自分自身も他の人も、同じように大切にされる
ということだ。
「ともに未来をつくろう」
英国パビリオンのテーマだ。
目を見開いて、未来を見つめよう。
小さな僕にできる小さなこと、しっかりとやっていこう。
世界中の人が小さなことをしっかりやっていけば、それはいつか大きな力となる。
(2025年4月14日)
仕事
時々忙しいことがある。
フリーターの僕のスケジュールは年によって月によって変わる。
年間を通した仕事はほとんどない。
昨年度までの10数年は龍谷大学の非常勤講師の仕事があったが、これは昨年度で契約
が終了した。
今年度からは前期だけとか後期だけ、あるいは年に10回程度、年に3日間だけ、ある
いは一日だけという仕事ということになる。
それでもスケジュールはほとんど埋まってしまうのだから有難いことだ。
見えなくなった頃、僕には何も仕事がなかった。
仕事を求めていろいろ努力もしたが何もなかった。
その時仕事の意味を知った。
つい収入を考えがちだが、仕事の一番の意味は社会とつながるということなのだ。
人間は社会的動物と倫理社会の授業で習った記憶があるが、その通りだと思う。
今年度のスタートは時間に追われる大きな仕事で大変だった。
たまたまのご縁でつながった仕事だったが、とてもやりがいのある仕事だった。
時間に追われる内容の仕事だったので、3日から6日までは3泊4日で大阪のホテル
で過ごした。
準備して頂いた部屋は51階建てのホテルの49階のデラックスルームだった。
室料がいくらくらいなのかは分からないが、自分で泊まることはないだろう。
仕事をして社会と関わるということは、こうして時々、思いもかけぬ幸運もある。
今回の仕事を紹介してくださったのはロンドン在住の知り合いだった。
人間同士の縁、絆、不思議なものだ。
とにかく、幸運の年度始め、いいスタートとなったような気がする。
今日は午前中が専門学校の入学式と講師会、午後が高校の講師会だ。
今年度も関わることができる仕事、感謝しながら精一杯頑張りたい。
(2025年4月9日)
お風呂
滋賀県大津市に引っ越してきて3年が過ぎた。
大学時代からの47年間は京都で暮らした。
大学時代は三畳一間のアパート、その後はずっと団地暮らしだった。
終の棲家を求めて大津にきたということになる。
団地は鉄筋コンクリートの建物だった。
どうしても自分の住んでいる上の階の物音が気になったし、階下にも気を使った。
大津の家は一軒家だ。
中古の物件をリフォームしたものだ。
だいぶ古かったのでトイレ、お風呂、台所などの水回りは新しくしてもらった。
結果的にこれが大成功だった。
お風呂場が広くて湯船も大きいのだ。
気密性も高いので音漏れなどもない。
僕は毎回アップルミュージックをスピーカーにつないだもので音楽を聴いている。
入浴剤の入ったお風呂に手足を伸ばし、大音量で音楽を聴いているのだ。
極楽だなっていつも思う。
「目が見えなくて楽しいことってあるのですか?」
時々お招き頂いた小学校の子供達が質問する。
見えないより見えた方がいいとは思っている。
でも、それと幸せはあまり関係ない。
例えば、ふと見えていた時の行動を思い出す。
温泉に浸かって最高の気分の時、無意識に目を閉じていた。
他の感覚で幸せを確認していたのだと思う。
見えなくても幸せ時間を大切にして生きていきたい。
(2025年4月3日)
ケセラセラ
お父様は戦死だった。
お母様は肺病で命を落とされた。
残された6歳の少女は一人で生きるしかなかった。
戦争に翻弄されながら異国の中国で少女時代を過ごした。
引揚船で舞鶴に帰ってこれたのは12歳の時だったらしい。
その後の少女の人生を僕は深くは知らない。
知らなくていいことなのかもしれない。
「目が悪くて良かったこともあるのよ。ヤクザの女にならなくてすんだから。」
キャバレーで歌っていたと彼女はチャーミングに笑う。
生きてこれて幸せだったと彼女は笑う。
僕が彼女とつながったのは視覚障害が縁だ。
以前僕が関わっていた就労継続事業所さわさわを彼女は利用していた。
年齢は20歳ほど違うが僕達は気心の知れた間柄となった。
病気が見つかったことを彼女からの電話で知った。
ステージ4の肺がんの治療を彼女は拒否した。
ありのままに生きていくのだと言う。
彼女の半生をさわさわ時代の友人が綴った。
『「中国ひとりぼっち」から引き揚げ船で日本へ』(読書日和 1,860円)
ささやかな出版お祝い会に仲間が集った。
彼女の人生を、執筆してくれた友人の人生を、そしてそれぞれの人生を祝福する空気
があった。
あちこちで笑い声が聞こえた。
「幸せの後には悲しいことがあるから怖いわ。でも、ケセラセラよ。」
彼女はそんな言葉で宴を締めくくった。
一人の人間が生きていくということ、生き抜いていくということ、そこにはそれぞれ
のドラマがあり、そしてかけがえのないものなのだ。
障害があろうがなかろうが、その美しさに差はない。
人間の価値は皆等しいということなのだろう。
実行委員長の僕は事前の準備から跡片付けまで大変だった。
でも、大きな達成感の中で幸せを感じた。
かけがえのないもの、それは人間同士が織りなす絆なのだろう。
ケセラセラ、僕もそう生きていきたい。
(2025年3月30日)
桜のアンパン
大津市に引っ越してきて3年が過ぎようとしている。
知り合いも少しずつ増えている。
大津市内の図書館のお招きで講演会があった。
定員40名、集まってくださるか不安があった。
関係者から途中の経過報告があった。
うれしいことに定員いっぱいとなり、追加も受けることとなった。
当日は天気にも恵まれ、会場は満席だった。
著書が地元の京都新聞で紹介されたのも後押しになったのかもしれない。
ただ、僕は人生初めてと言ってもいいくらいのひどい花粉症だった。
お医者さんから処方してもらったお薬を飲み、ウガイもし、咳止めの吸引もしたがあ
まり効果はなかった。
鼻水を垂らしながら、咳き込みながらの講演となった。
話を聞きにきてくださった人達には申し訳ない状況だった。
僕は開き直って、その状態で頑張るしかなかった。
いつものように、心をこめて話をした。
皆さん、しっかりと耳を傾けてくださった。
大津市内の視覚障害者の人達も数名きてくださっていた。
ガイドヘルパーさん達も来てくださっていた。
視覚障害者とは一度も話したことがないという人も多くおられた。
小学生も参加してくれていたのはうれしかった。
終了後の空気は皆がひとつになっていた。
僕は満足して会場を後にした。
車で駅まで向かう途中、僕を見つけた知り合いが車に向かって走ってこられた。
窓越しに彼女は僕に小さな包みを手渡しされた。
「この地域にある和菓子屋さんが製造している桜のアンパンです。」
僕は帰宅してすぐにコーヒーを入れてそのアンパンを食べた。
アンパンの上には塩漬けの櫻の葉がトッピングしてあって、桜餡だった。
しみじみとおいしかった。
大津市にきて4回目の春が始まる。
少しずつ故郷となってきているのだろう。
感謝して暮らしていきたい。
(2025年3月25日)
春分の日
春分の日という言葉が気持ちを揺さぶったのかもしれない。
僕は庭に出た。
冷たい空気を感じながら庭に出た。
そして、ゆっくりと歩き始めた。
歩きながら陽だまりを探した。
見えない僕がどうやって陽だまりを探すのか、それは熱だ。
顔や頭で感じる熱だ。
見つけた陽だまりに僕は入った。
身体全部を陽だまりに預けた。
しゃがみこんで顔を空に向けた。
光が顔に降り注いだ。
それから両手の掌で光をすくった。
春の光をすくった。
光はすぐにいっぱいとなって溢れ出した。
指の隙間からもどんどんこぼれた。
僕はふと思い立って、チューリップを植えた場所まで移動した。
去年はプランターだけだったが、今年は玄関の横にも地植えしたのだ。
そっと地面を探った。
だいぶ大きくなったチューリップの茎と葉が手に触った。
もうすぐ蕾が膨らみ始めるのだろう。
また新しい春が始まる。
(2025年3月21日)
居酒屋
高田馬場の駅の近くの居酒屋さん、そんなに広くはない店内は満員状態となった。
4日間の同行援護の研修、受講生は全国から集ってくださった。
そして初日の希望者の懇親会、多くの人が参加しておられた。
責任者の僕の乾杯の発声が宴のスタートだった。
2時間飲み放題、お酒好きにはいいプランだ。
僕はアルコールは一滴も飲めない。
父も母もそういうタイプだったので遺伝なのだろう。
宴が盛り上がってくると酔っ払いの笑い声が聞こえだす。
楽しそうにうれしそうに酔っぱらっている人には幸せが宿っている。
うらやましくもなる。
でも、僕は身体が受け付けないのだから仕方がない。
もっぱら食べることと話すことで時を過ごす。
障害の害という漢字についてどう思うか、誰かが言い出した。
いろいろな人が私見を述べた。
こういうことに正解なんて存在しない。
それぞれが話、それぞれが耳を傾ける。
それぞれの思いが未来を見つめる。
その輪の中に存在できることをうれしく感じる。
50年ほど前に、見えない人の外出を社会で支援するという制度がスタートした。
最初の制度は、利用できるのは一人暮らしの全盲の人だけ、サポートしてもらえるの
は病院と役所だけというものだった。
理解してくださる人、共感してくださる人、支援してくださる人、その後押しがあっ
て同行援護の制度が誕生したのは14年前だ。
有難いことだ。
でも、まだまだ完成されたものとまでは言えないと僕は思っている。
見える人も見えない人も見えにくい人も、皆が笑顔で参加できる社会、そこに向かい
続けなければいけない。
当事者と専門家が手を取り合って進む時、それが一番の力となる。
酔っ払い達の笑顔を感じながら、明日からの講義も頑張ろうと思った。
(2025年3月15日)
幸せのスケジュール
のんびりとした時間が流れている。
3月の僕はスケジュール的にはゆとりがあるのだ。
たまたま今年は月初めに高校の同窓会で鹿児島県に出かけた。
来週は4泊5日の東京での同行援護の研修が入っているが、それ以外は幾つかの仕事
があるだけだ。
休日は久しぶりの仲間と会ったりする予定だ。
毎年、この時期は充電期間となっている。
そして、来年度に向けての予定が少しずつ入ってくる。
後3週間して新年度を迎える時、きっと予定の半分くらいは埋まるのだろう。
もう2026年の予定もいくつか入っているから自分でも可笑しくなる。
当たり前みたいに予定を入れているが、そのためには健康でいなければいけない。
今までやってこれたこと、そして現在を考えると、僕は基本的に丈夫なのだろう。
丈夫に産んでくれた親に感謝だ。
それでも、体力は少しずつ落ちてきている。
聴力の低下も自覚するようになった。
そういう事実とちゃんと向かい合っていかなくちゃと思う。
駅の近くに美味しいヨモギ餅があると知り合いからの情報があった。
ヨモギ餅を買うために出かける予定だ。
ヨモギの香るお餅を頬張れば笑顔になるだろうな。
春の光を浴びたくなるに違いない。
見えなくても、やっぱり光は恋しい。
幸せのスケジュールだ。
(2025年3月9日)