38度

僕の平熱は35度台だ。
38度の気温ということは体温よりも2度以上高いということになる。
熱中症にならないようにしっかりと水分補給もしているので問題はないが、
歩きながらふと意識が飛ぶような感じにもなってしまう。
いつもはいろいろな音や匂いにアンテナを張っているのがそれどころではなくなるの
だろう。
まさに青息吐息で歩いている感じだ。
帽子をかぶったらとよく言われるのだが、
なんとなく不似合いそうな気がしてかぶる気にならない。
見えなくてもカッコつけなのだろう。
天気予報は明日は39度を予想している。
科学の進歩なのかこの予想が結構当たる。
僕が子供のころは履いてた靴を空中に放り投げて、
その裏表で一喜一憂していた。
予想できないことが幸せにつながることもあるのにな。
また明日も仕事で出かける。
とにかく「夏の暑さにも負けず」そういう人に僕はなりたい。
(2018年7月18日)

知るということ

酷暑の中の講座は大変だった。
教える方も学ぶ方も体力勝負だった。
無事終了してどちらもに笑顔が生まれた。
安堵感の笑顔だった。
二人の学生が講座の帰りに僕の買い物を手伝ってくれた。
将来病院の眼科で働こうと考えている学生達だ。
正しく知るということは凄いことなのだろう。
見えない人と会話さえしたことのなかった学生達がほぼ完璧に僕のサポートをした。
一緒に街を歩き電車やバスに乗車した。
スーパーマーケットでは僕の欲しい商品を見つけてそれを僕に触らせた。
賞味期限も値段も読んでくれた。
もうすぐ土用の丑という店内広告も教えてくれた。
ウナギ大好きの僕はついつい買ってしまった。
買い物が終わると持参したエコバッグに商品を詰めてくれた。
それからバス停に向かった。
丁度バスが到着していた。
僕たちは走った。
ギリギリ間に合った。
そこで学生達とはお別れだ。
僕はバスに乗り込んだ。
すぐに乗客の方が僕を座らせてくださった。
閉まりかけた乗り口から学生達の声が聞こえた。
「ありがとうございました。」
僕は顔をそちらに向けて手を振った。
学生達も笑顔で手を振った。
どこかで困っている僕の仲間を見かけたら、
きっと彼女達は声をかけてくれるだろう。
そう思うと僕はバスの中でまた笑顔になった。
(2018年7月16日)

セミの声

東京から帰ってきたのは22時だった。
シャワーを浴びてすぐに寝た。
寝たというよりもほとんど気を失ったというような感じだった。
気がついたら5時だった。
目覚ましを止めてもなかなか身体が動こうとしてくれなかった。
やっとベッドから立ち上がってまず栄養ドリンクを飲んだ。
おまじないみたいなものだ。
それから洗面と髭剃りとシャンプーが日課だ。
そこまで済んだら音楽を聴きながらコーヒータイム。
パソコンで今日の予定を再確認してしばしボォッとする。
このボォッが好きだ。
8時45分に学生と新大阪駅で待ち合わせをしている。
7時15分には出発して桂川駅へ向かった。
駅員さんに新大阪駅までのサポートを依頼した。
準備ができて駅員さんとホームに向かった。
「今日も暑くなりそうですよ。」
電車待ちの少しの時間、駅員さんが僕につぶやいた。
何気ない一言で身体の力が少し抜けて軽くなったように感じた。
今年初めてのセミの声に気づいた。
夏がきた。
(2018年7月12日)

相合傘

大雨警報が出ていたが大学は平常通りだった。
僕は土砂降りの雨の中を出かけた。
右手に白杖、左手に傘、雨音で聞こえにくい音。
やっとの思いで桂駅のコンコースにたどり着いた。
濡れた傘をたたもうと手探りで付属のひもを探したがなかなか見つけられなかった。
いつもはあちこち触っているうちに手に触れて分かるのだが、うまくいかなかった。
時間も気になってあせっていた。
いつの間にか手はびしょ濡れになっていた。
斜め後ろから近づいてくる二人連れの女性のちょっと大き目の声に気づいた。
いわゆる面倒見のいい関西のおばちゃん風だった。
「すみません。」
僕は傘のひもを探してもらいたくて声をかけた。
二人の女性は会話を止めて、それから間もなく急ぎ足で立ち去った。
想定外の動きだった。
僕は内心驚きながら別の通行人の足音に声をかけた。
どの足音も止まらなかった。
年に数回訪れる運の悪い日なのだろうか、
結局10人くらいには声をかけたがすべてだめだった。
僕は何か顔についているのだろうかとか、服が変になっているのだろうかとちょっと
心配にもなった。
誰も手伝ってくれる人はいない。
どうしようもないのでたたみかけた傘を再度開いてひもを探した。
見えてさえいれば何でもないことだ。
悔しかった。
そのひもを持ったまま傘を閉じてやっと片付けることができた。
心がびしょ濡れになっていた。
大学の最寄りの駅に着いた。
学生が迎えに来てくれた。
帰りも別の学生が送ってくれた。
僕は彼女達と相合傘で歩いた。
びしょ濡れの僕の心を見透かしたように彼女達はやさしかった。
僕が濡れないように水たまりに足を入れないように気を遣って歩いていた。
そしてずっと笑顔だった。
相合傘が愛々傘になっていた。
いいもんだなと思った。
(2018年7月6日)

バス待ち

一日の仕事を終えてやっと地元の駅に着いた。
白杖を振りながら急ぎ足でバスターミナルへ向かった。
そこまでは一般の人と同じだ。
バスターミナルには一つの降り場と三つの乗り場が並んでいる。
僕は頭の中の地図で階段を右に降りて点字ブロックを探す。
点字ブロック沿いに歩けば一番手前の乗り場に行くことができる。
その乗り場からは5種類の行先の違うバスが発車する。
乗り場にはバスを待つ人々の行列ができていて、
自分の乗るバスがきたら列から離れて順番に乗車していくようになっている。
僕はその列がどこまであるのか分からないから最後尾に並ぶことはできない。
バスから流れる案内放送で行先を確認するので近くにいなければならない。
列を離れて順序良く歩くこともできない。
だからいつも乗り場近くの点字ブロックの上で待っている。
僕には僕なりの仕方ない理由があるのだけれど、
見方によっては順番抜かしには違いない。
社会に対して申し訳ないという気持ちもあるし、
咎められるようなことがあったらきちんと説明する義務もあると思っている。
幸いそういうことは一度もない。
ただその状況でバスのエンジン音や到着時に流れる一回きりの案内放送を確認しなけ
ればならないのだからいくらかの緊張感は必要だ。
気を抜けずにバスを待っている日常がある。
「松永さん、何かお手伝いすることはありますか?」
行列の中から声がした。
僕は自分の乗りたいバスの番号を伝えた。
彼女はそのバスが間もなく到着するという掲示板の情報を教えてくれて、
それから乗りやすい地点まで僕を誘導してくれた。
小学校4年生の時に僕の福祉授業を受けてくれた彼女は大学3回生になっていた。
僕の著書を小学校の頃に読んで今でも大切に持っているとのことだった。
11年ぶりの再会だった。
未来に向かって蒔いた種が発芽していることを実感した。
発芽率がどれくらいあるかは想像もできない。
でも信じて蒔き続けるしかない。
それが僕にできること、僕がしなければならないこと。
乗車したバスの背もたれに背中を押し付けながら、また明日も頑張ろうと思った。
そしてありがとうとつぶやいた。
(2018年7月2日)

サイン

京都市の西北にキリスト教系列の男子の中学校がある。
この中学校にくるようになって10年は経っただろうか。
毎年二日間だけ来ている。
一日目に全員を対象に話をし二日目はクラス毎に質疑応答の時間を取っている。
生徒達はそれぞれの疑問を僕に投げかけてくる。
5時限連続の授業は体力も気力も要るのだが、
僕は楽しみながらやっている。
「何故サングラスをしているのですか?」
「地震などが起こったらどうするのですか?」
申し合わせたように5クラスから同じ質問もあった。
中学生らしいまだ幼い内容の質問もあるし、
人間の幸福や生き方に関わるようなものもある。
ひとつひとつの疑問に丁寧に答えていくことが正しい理解につながっていく。
最後のクラスが終わって控室に戻った時、
一人の少年がノートとボールペンを僕に差し出した。
「記念にサインをください。」
僕は著書以外には基本的にサインはしないことにしている。
芸能人でもスポーツ選手でもないし、
そういうことでうぬぼれてしまう自分自身が怖いからだ。
でもキラキラとまっすぐな少年の視線に見つめられて断ることができなかった。
少年の氏名、僕の氏名、そして「ありがとう」という言葉を書いた。
未来の扉に心をこめてサインした。
(2018年6月29日)

くちなしの花

彼女は突然何の前触れもなく車を道の左側に停車させた。
そして僕が乗っている助手席側の窓を全開にしてから質問した。
「この匂いわかりますか?」
鼻をピクピクさせている僕に彼女はうれしそうに言った。
「くちなしの花ですよ。」
それだけ言うと車を動かし始めた。
彼女は仕事の休みの日など時々僕の移動のボランティアをしてくれている。
長い付き合いの中で僕が興味を示すものなどが判ってきたのだろう。
一週間もしない今日、別のボランティアさんと買い物に行ったら、
お店の近くの道端で突然止まって質問された。
「この匂いわかりますか?」
鼻をピクピクさせている僕に、彼女はうれしそうに言った。
「くちなしの花。」
僕は花を触らせてもらった。
僕にはくちなしの花の映像の記憶はない。
渡哲也さんの歌なら知っている。
でも見た記憶はなかった。
真っ白な花びら、
黄色い花粉は料理にも使われるそうだ。
もっとたくさんの花の名前を憶えておけばよかったと後悔もある。
でも見えなくなっていく時はそれどころではなかった。
花の名前は知らないけれど、
咲いている命をうれしく感じるようになった。
そして、見えない僕に季節の移ろいを伝えようとしてくれる人がいる。
幸せなことだと思う。
(2018年6月26日)

失敗

雨で道が混んでいた。
タクシーはなかなか進まなかった。
桂川駅に着いたのは13時50分だった。
14時に京都駅で関係者と待ち合わせの約束だったが遅れることを覚悟した。
それでも気持ちは焦っていた。
点字ブロックを手掛かりにしながら人波を避けて歩いた。
やっと階段を見つけて急いで降りた。
降りたホームの左側が京都方面だ。
もう何百回も利用しているのだから身体が憶えている。
「大阪方面行の電車が到着します。」
反対方向を案内する放送が流れた。
あわてん坊の駅員さんが間違ったんだなと思った。
僕は到着した電車に乗ってすぐに関係者に電話をかけた。
「10分程度遅刻します。すみません。」
わずかの遅刻で済んだと胸をなでおろして手すりを掴んだ。
緩やかな空気に身体もくつろいでいた。
「次は向日町です。」
車内に流れたアナウンスが僕を恐怖感の中に突き落とした。
間違っていたのは僕だったことがやっと理解できた。
どこでどう間違ったかさえ判らなかった。
向日町駅でいつもより慎重に白杖で電車とホームの隙間を確認して降りた。
そして足音に向かって声を出した。
すぐに若い男性が立ち止まってくれた。
僕は間違ってしまった事情を説明した。
そして京都方面行ホームへの移動のサポートをお願いした。
僕の表情は引きつっていたかもしれない。
彼は階段を降り地下道を通って反対側のホームまで連れて行ってくれた。
僕に話しかけながらゆっくりと歩いてくれた。
やがて京都方面のホームに着いた。
僕は点字ブロックとホームの端を確認してから彼にお礼を伝えた。
「頑張ってください。」
彼はそう言って僕から離れた。
そして数歩進んで振り返って笑いながら言った。
「頑張ってくださいは変ですよね。お気をつけて。」
彼の笑顔が僕の不安を飲み込んだ。
やっと平常心を取り戻したような気がした。
僕は右手でバイバイをしながらニヤリと笑った。
そしてありがとうとつぶやきながら京都行の電車に乗車した。
(2018年6月24日)

地震

故郷の鹿児島、佐賀、四国、関東、北海道、
いろいろな地域の方から安否確認の電話やメールを頂いた。
災害が起こったら目が見えない僕はどうしようもなくなる。
状況を目で確認できない。
逃げることもできないし助けを呼ぶことさえできないかもしれない。
その時は仕方がないという覚悟だけはある。
でもやっぱり生きていたい。
僕が助かるかどうかは助けてくださる人がいるかどうかということなのだろう。
大丈夫かと尋ねてくださる人がいる。
頑張れとメールをくださる人がいる。
心配でたまらなかったと言ってくださる人がいる。
声を聞いて涙がこぼれそうになったと伝えてくださる人がいる。
僕は幸せ者だと思う。
見えないことは受け止めた。
怖くはない。
近くに誰もいなくなること、
それはきっと耐えられないことなのだろう。
犠牲になった人達のご冥福を心から祈りたい。
(2018年6月21日)

中年男性

朝、桂駅でバスを降りたタイミングで声がかかった。
同世代だと思われる男性だった。
僕は彼の肘を借りて改札口まで歩いた。
改札口でありがとうカードを渡そうとしたら、
以前も貰ったとのことだったが強引にまた渡した。
改札口からはいつものように一人で電車に乗った。
ラッシュだったので入口の手すりをしっかりと掴んでいた。
やがて電車は目的地の烏丸駅に到着した。
電車から押し出されるようにホームに降りた。
点字ブロックに沿って歩き始めた。
誰かが僕の手をノックした。
「ありがとうございます。」
僕はすぐに肘を掴んだ。
改札口に到着して感謝を伝えた時、肘の持ち主が中年の男性だと判った。
タイミングが合わなくてありがとうカードは渡せなかった。
午前に専門学校、午後に大学、二つの仕事を終えて帰路に着いた。
京都駅で用事を済ませて地下鉄に乗った。
僕に気づいた男性がサポートしてくださった。
降車は大丈夫と説明して四条駅で電車を降りた。
ありがとうは伝えたけれど混んでいたのでありがとうカードは渡せなかった。
四条駅のホームを歩き始めたら男性が声をかけてくださった。
「お手伝いしましょうか?」
僕は烏丸駅から阪急電車に乗車予定と経路を説明した。
桂駅まで彼も同じだった。
僕達は友人みたいにして歩いた。
「会社でサポート研修を受けたことはあるけど、なかなか声はかけられなくてね。」
彼の実直さが伝わってきて心がほんのりした。
桂駅に到着してありがとうカードを渡して別れた。
今日は4人のサポーターと出会い、珍しく全員が中年男性だった。
バスターミナルまで一人で歩きながらしみじみとうれしくなった。
爽やかな不思議なうれしさだった。
僕もまだまだ頑張ろうと思った。
(2018年6月17日)

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