教育者

放課後の中学校の教室、学年の先生方と僕は話し合いをした。
視覚障害者のサポートについて生徒達に体験させたいとのことだった。
僕は当事者として関わった。
そして実際にアイマスクを装着していくつかの体験もしてもらった。
先生方はとても熱心に体験されていた。
僕の日常の活動は種蒔きだ。
未来に向かって思いを込めて種を蒔く。
単発で生徒達に出会う僕にはそれしかできない。
発芽した種を育てるのは先生方だ。
だから僕は願いや希望を先生方に託した。
歓談の中にも先生方の教育者としての姿があった。
それぞれの先生が未来を見つめてくださっているのを感じた。
ありがとうございますという思いが身体を包んだ。
土砂降りの雨の中、バス停まで送ってもらいながら自分の人生を振り返った。
僕がこうして今何かを考え生きていけるのは、
子供の頃から出会った先生方が導いてくださったからなのだろう。
出来のいい生徒ではなかった。
手こずらせたことも多くあった。
もう天国にいってしまわれた先生がほとんどだ。
たくさんの生徒に出会われるのだからすべての生徒を記憶してはおられないのかもし
れない。
僕自身もすべての先生の記憶があるわけでもない。
でも教えてくださったことが僕の人生につながっていったのは間違いない。
改めて教育の大きさを感じた。
そして今日出会った先生方の言葉を思い返した。
「共に生きていく社会がテーマです。」
土砂降りの雨はいつかやんで夜空には星が輝くのだろう。
たくさんの星がそれぞれに輝くのは美しいのだろうなと思った。
先生方に深く感謝した。
(2019年11月19日)

鹿児島、福岡、広島、兵庫、大阪、京都、滋賀、岐阜、愛知、神奈川、栃木、群馬、
東京、千葉、埼玉、新潟、岩手、北海道。
研修会には同行援護に関わる人達が全国各地から参加した。
事業所の方もおられたしガイドヘルパーの方もおられた。
視覚障害者当事者の方もおられた。
希望者対象の研修会だから交通費さえそれぞれで対応しなければならない。
思いのある人たちがよりよい制度を目指して集うということになる。
当然、議論は白熱することもある。
僕は主催者側なので司会の係りだった。
残念ながら僕の知識は深くはない。
思いだけはあるという感じだ。
周囲の人達に助けられながらなんとかやっているという状況だ。
限られた時間の中で多くの人の意見を聞いて皆で共有する。
結構ハードな役目だ。
帰りの新幹線の中でぐったりしながら手をポケットに突っ込んだ。
帰りがけに仲間からもらった鈴が出てきた。
耳元で鳴らしたら微かにやさしい音色がした。
彼は北海道の鈴と言いながら僕の手に乗せてくれた。
研修会がどうだったかなんて一切言わなかった。
そこは大人の対応だ。
僕はもう一度耳元で鈴を揺らした。
「ご・く・ろ・う・さ・ま」
心の中でつぶやきながら鳴らした。
ほんの少しでいい。
ささやかでいい。
未来に向かえればいいんだ。
そう思ったらなんとなく安心した。
それから鈴を白杖にしっかりと結びつけた。
(2019年11月17日)

今夜は満月

今夜は満月が綺麗に見えるとラジオから流れた。
僕も見ようと即座に自然に思った。
子供の頃から夜盲の症状があった僕は星は見えなかった。
でも月ははっきり見えていた。
夜道をいつも後ろから付いてくる月は特に好きだった。
いろいろな月をいろいろな場面で眺めた。
思い出を時々月光が照らしている。
美しい思い出だ。
「今夜の月は大きくて綺麗ですよ。」
見えなくなってからも教えてもらうことがある。
その方向の夜空を眺める。
なんとなくうれしくて立ち止ることさえある。
画像があるかないかは関係ないくらいに見えないことに慣れてしまった。
それがいいのかどうかは分からない。
ただ自然に月を眺める。
心で見ているなんて気恥ずかしくて言えないが、
確かに月を眺めている僕がいる。
空気が冷え込んでくる時期にはその美しさも増すのだろう。
今夜は満月。
日本中が秋晴れらしい。
見える人も見えない人もしばしご覧あれ。
月を眺める人達がその瞬間をどこかで共有しているかもしれない。
そう思うとなんか幸せも満月ですよね。
(2019年11月12日)

やせ我慢

電車がホームに入ってきた。
ドアが開いた。
白杖で乗降口を確認して身体を押し入れた。
予想はしていたがやはりとても混んでいた。
僕は入り口の手すりを握りしめた。
身動きもできない状況だった。
昨日は四天王寺大学での講演だったので羽曳野市まで出かけた。
移動だけで往復5時間かかった。
そしてまた今日は早朝から枚方市へ向かっていた。
高校での授業が待っていた。
しかも午前中連続の授業だった。
我ながら体力はあるなと思いながら立っていた。
やせ我慢かなとも思いながら立っていた。
次の駅で僕のいる側のドアが開いた。
僕は押されないようにまた必死に手すりを握りしめた。
「松永さん、端が空いたのでどうぞ。」
男性の声がした。
名前を呼ばれたということは僕を知っておられるということだった。
僕は感謝を伝え、ポケットからありがとうカードを取り出してそっと渡した。
「うれしいなぁ。これが噂のカードですね。」
男性は本当にうれしそうにおっしゃった。
僕は気恥ずかしさもあったが素直にうれしかった。
僕からの感謝の言葉のカードで喜んでくださる人がいる。
光栄なことだと思った。
そしてまた元気が出てきたのを感じていた。
思いを込めて伝えていく。
昨日の大学生、今日の高校生、
若者達が僕の年齢になる頃には僕はもうこの世にはいないだろう。
でも、未来に向かって蒔いた種はきっと芽を出してくれる。
そう信じてるからこうして頑張れるのだ。
いい年をしてと笑われるかもしれないがそれでも構わない。
まだまだ頑張る。
もっともっと頑張る。
そう自分に言い聞かせたら笑顔になった。
やっぱりやせ我慢なんかじゃないよ。
(2019年11月9日)

地方都市

彼と知り合ってからもう10年以上の時間が流れた。
僕の方が少しだけ年上だ。
居住地も仕事も環境は何もかもが違う。
同じなのは同じ病気で同じように失明したということだけだ。
彼の地本で視覚障害者の移動とボランティアというテーマで研修会が開催された。
その講師ということで僕を招いてくれたのだ。
参加者は20人程度だった。
知名度の低い僕ではそんなに人は集まらない。
申し訳ない気もあったが、彼はその数にも満足していた。
白杖の人を見かけることは少ないという地方の都市ではそれが現実だった。
参加者の中にはガイドヘルパーさんもおられたし、ボランティアの方もおられた。
当事者もおられた。
5人の女子高校生が明るく華を添えてくれた。
その存在だけで会場は明るくなった。
「未来につながりましたね。」
別れ際に僕と彼は堅い握手を交わした。
時々、こうして京都以外の地域に出かけることがある。
当事者の研修会、教育や福祉関係者の勉強会、学校や企業など様々だ。
出かける度に、僕が暮らしている京都が進んでいる場所であることを実感する。
感謝の思いになる。
日本中が京都のように、いやもっともっと、皆が暮らしやすい社会になって欲しいと
強く思う。
僕にできる活動をコツコツと続けていきたい。
ささやかでも続けていけば、それは力となる。
1から始まったホームページのアクセスが80万を超えた。
きっといろいろな地域の皆様が覗いてくださっているのだろう。
一緒に未来に向かいましょう。
宜しくお願い致します。
(2019年11月4日)

やさしい人の数

小学校の福祉授業を終えて校門からタクシーに乗車した。
最寄りの地下鉄の駅に向かった。
降車後の階段の入り口までのサポートを運転手さんにお願いした。
快くという感じではなかったけれど引き受けてくださった。
僕はしっかりとお礼を伝えた。
慣れない場所を単独で動くには誰かの助けを受けなければ無理だ。
援助を頼む力が外出の力となる。
その駅は年に数回しか利用しないから構造も理解できていなかった。
とりあえず階段を下りれば点字ブロックがあるはずだと考えて動き始めた。
最初の踊り場で方向が分からなくなった。
白杖で壁を確認しながら階段を探した。
「どこまで行かれますか?」
通りかかった女性が声をかけてくださった。
僕は改札口までのサポートをお願いした。
彼女の肘を持たせてもらって歩き出した。
地下鉄の改札口は思ったよりも深い場所にあった。
いくつもの踊り場を過ぎてやっと改札口に着いた。
彼女はその流れで電車までのサポートも申し出てくださった。
途中までは僕達は同じ経路だった。
僕達は僕の希望した後部車両までホームを移動して電車に乗車した。
シートに腰を降ろしたらすぐに電車は発車した。
僕はありがとうカードを渡しながら感謝を伝えた。
一人で移動していたらこの電車には間に合わなかったこと、
座れなかったことを伝えた。
白杖の人が電車の入り口の手すりを持って立っているのは、
座席が見つけられないからということには気づかなかったとおっしゃった。
僕も見える頃は分からなかったと返した。
あっという間に僕の降りる駅に着いた。
僕は彼女に再度しっかりとお礼を伝えて電車を降りた。
歩き始めて、今日の小学校の女の子を思い出した。
隣で一緒に給食を食べていたその子は、そっと僕に尋ねた。
「助けてくれるやさしい人ってたくさんいるのですか?」
「見える頃は予想していなかったけど、本当にたくさんいるよ。
やさしい人にたくさん出会えるのは僕の幸せのひとつかもしれないね。」
僕は答えた。
「ありがとう。」
その子は小さな声で言った。
少女はいつか今日の女性のようになるのだろうなとなんとなく思った。
未来への種蒔きができたような気がした。
(2019年10月30日)

エスコートゾーン

大きな交差点で道も直角に交わっているわけではなかった。
音響信号も付いているのだが音源だけで正確な方向は確認できなかった。
僕は週に一度くらいの頻度でそこの横断歩道を渡らなければならなかった。
渡る前にいつも深呼吸して気合を入れていた。
横断歩道の手前にある点字ブロックを足の裏で確認して方向を決める。
それから白杖を身体の中心に持ってきて同じ振り幅で同じリズムで歩く。
耳は音響信号の音と左折右折で進入してくる謝恩を確認する。
歩行訓練の先生に教えてもらった通りにやるのだがなかなか難しかった。
見えないでまっすぐというのはやはり勘の世界なのだ。
ちゃんと渡れるのは7割くらいだった。
どちらかに曲がってしまうのだ。
雨の日に傘をさしたりしていたら成功率は3割もなかった。
最近、その横断歩道が平気になった。
エスコートゾーンが敷設されたのだ。
横断歩道のスタート地点から終了地点まで足の裏で感じられる凹凸が付いたのだ。
その上を歩けばまっすぐに向こう側に到着できる。
これを使うのは視覚障害者でも全盲の人だけなので、点字ブロックのような色は付い
ていない。
触覚だけで分かるようになっている。
今朝もそのエスコートゾーンを利用して横断歩道を渡った。
何の問題もなく渡れた。
渡り終えて喜びが身体を突き抜けた。
大袈裟ではなくそんな感覚になった。
裏返せば、いつも怯えていたということだろう。
エスコートゾーンを発明してくださった人、
ここに敷設すると認めてくださった人、
そして地域の人、
本当にありがとうございます。
皆様に心から感謝です。
何十回も頭を下げて回りたいほど感謝です。
(2019年10月28日)

キビナゴ

故郷の鹿児島県に帰省した時だけ食べるお魚がある。
キビナゴだ。
塩焼きも美味しいが酢味噌で食べるお刺身は最高だ。
今回も2度食べた。
食べる時、必ずその姿を思い出す。
人差し指ほどの長さだろうか、太さは指よりは細い。
銀色と薄青色の縦じまが輝いている。
はっきりと思い出す。
子供の頃によく見ていたのだろう。
暮らしの中にその姿があったのだ。
子供の頃は美しいなどと思ったことはなかった。
大人になってからそう思うようになった。
美の概念も変化していくのだ。
当て字なのだろうが「貴美女児」と書くのを知ったのは故郷を離れてからだった。
文字の確かさに感動したのを憶えている。
キビナゴが何万匹の群れをなして泳ぐ姿は想像しただけで胸がときめく。
いつか見える日がきたら見てみたいと素直に思ってしまう。
素直に思えるくらい美しいということなのだろう。
そして、素直に思っている自分自身を感じた時、何故かちょっとうれしくなる。
(2019年10月24日)

ぬか漬け

注文したぬか漬けがテーブルに置かれる。
微かな香りが食欲をくすぐる。
大根ときゅうりと人参と3種類をゆっくりと味わう。
塩辛いこともなく酸味もほどよく絶妙の味だ。
歯ごたえや食感で素材の良さも伝わってくる。
料理人は堅物で偏屈な男だから素材にもとことんこだわっているのだろう。
普通は料理の端っこに脇役としてあるのだが、
ここのぬか漬けはそれだけで十分主役となっている。
京都だけではなく旅先のいろいろなところでもぬか漬けを口にするのだが、
このお店より旨いと思うのにはまだ出会えない。
料理人は高校時代の友人だからひいき目なのかと自問自答してみたがそうではない。
純粋に旨い。
口に入れて幸せになるものをご馳走というのだとしたら、
ここのぬか漬けは間違いなく一流のご馳走だ。
器も料理の見た目も分からない僕は嗅覚と味覚だけが勝負だ。
その僕が参ってしまう。
30年という時間は料理人の腕もぬか床も熟成させてきたのかもしれない。
鹿児島県薩摩川内市、割烹なかうち。
近くにいらしたら、是非召し上がってみてください。
(2019年10月19日)

ワールドカップ

昭和51年3月28日、僕は国立競技場のスタンドにいた。
19歳だった。
寒い日だったのを憶えている。
ジャパンとニュージーランド学生選抜の試合の観戦だった。
結果は6対46でジャパンが負けた。
ある意味、予想通りの結果だった。
勝つなんてあり得ないことだと思っていたし、善戦を期待しての観戦だった。
ジャパンは善戦した。
必死にボールをつなぎ、大男達に果敢にタックルしていった。
ノーサイドの笛の後、競技場は拍手に包まれた。
桜のジャージの戦士達に惜しみない拍手が届けられた。
ワールドカップの試合をラジオで聞きながら、冬枯れの空の下の風景が蘇った。
あり得ないということをあり得るにした人達に心が震えた。
うれしくて幾筋かの涙が流れた。
青空も戦士達も桜のジャージももう僕は見れない。
試合に夢中になってそんなことさえ忘れていた。
僕の魂は確かにスタンドの片隅にあった。
19歳の時と同じだった。
同じであったことに気づいて、また熱い涙がこぼれた。
(2019年10月15日)

古い記事へ «