ガラスコップ

さわさわの初めての研修旅行に出かけた。
中型のバスを借りて北陸まで出かけた。
たくさんのボランティアさんが協力してくださって実現できた。
一人の視覚障害者に一人のサポーターというベストの条件が整っていた。
仲間と一緒にお風呂に入ったり食事をしたり、くつろいだ二日間だった。
一人一人の声に耳を澄ますとそこにはお互いへのエールが感じられた。
生命のきらめきがあった。
かけがえのない人生があった。
僕自身を見つめなおす時間にもなった。
二日目の行程に視覚障害者が体験できそうな実習を職員が探してくれていた。
オリジナルデザインのガラスコップの制作だった。
シールを貼ったコップを工房のスタッフの人に機械で削ってもらうと、
そのシールの部分だけが削れないで残るというものだった。
ボランティアさんの目を借りながらそれぞれがガラスの色を選んだ。
それからシールの形や大きさを選んでコップに貼り付けていった。
ひとつひとつを手作業で削るのだからスタッフの人も大変だ。
1個が3分でできても1時間以上かかってしまうということになる。
浅く削れば時間は短縮できる。
でもスタッフの人はいつもより深く削っていかれた。
時間は刻々と過ぎていった。
削り終えた最後の1個を持ってスタッフの人は僕達の待機している場所に駆け込んで
こられた。
仕上げられたコップを持ってバスに乗り込んだ。
1分の遅れでバスは発車した。
見送ってくださったスタッフに向かって僕達は手を振った。
心を込めて手を振った。
僕はありがとうってつぶやいた。
削る担当ではない別のスタッフから僕はこっそり聞いていた。
僕達が手で触ってデザインを確認しやすいように、
削るスタッフの人はいつもより深く削っていかれたのだった。
そして最後までそんなことはおっしゃらなかった。
それぞれが作ったガラスコップはそれぞれの旅の思い出となる。
思い出に触れたらきっとやさしい笑顔になるだろう。
素晴らしい研修となった。
(2019年5月15日)

寒蘭

春が始まった頃に寒蘭の植え替えをした。
寒蘭用の土を妹夫婦が送ってくれたのだ。
寒蘭を育てることが父ちゃんの趣味だった。
父ちゃんが亡くなった後、残った寒蘭の鉢植えを親交のあった人達と分けた。
僕は団地に住んでいるし、世話も大変なので一鉢だけ頂いた。
日当たり、水、温度、湿度、いろいろな条件を管理できないとなかなか花は咲いては
くれない。
毎年11月くらいになると、咲いてくれた花を父ちゃんはうれしそうに眺めていた。
飽きもせずずっと眺めていた。
僕も清楚で上品な花を特別に美しいと思った。
そして無言でそれを眺めている父ちゃんが好きだった。
僕が預かった寒蘭は一度も咲いてくれない。
僕にしたらある意味予定通りだ。
元々そう簡単に咲いてくれないことは知っている。
でも水やりの後しばらく眺めて美しいと感じている僕がいる。
咲かせられない負け惜しみでもない。
すっと伸びた葉っぱをそっと触ってそう感じるのだ。
あの頃、父ちゃんは花だけではなくて葉っぱの美しさも見ていたのかもしれない。
きっとそうだ。
最近そう思うようになった。
植え替えの後、葉っぱが元気になってきた。
活き活きとした深緑色の葉っぱに触れて笑顔になっている。
触れて色を感じるような気になることもなんとなくうれしい。
(2019年5月12日)

葉っぱ

いつも白杖を前方で左右に動かしながら歩いている。
この左右というのは僕自身よりも少しだけ広めの幅だ。
その部分に障害物がなければいいわけだ。
路面に触ることで段差や坂道も検知できる。
そして白い色で目が不自由ということを社会にアピールしている。
視覚障害者の人が白杖を持つようになってから他人とぶつかることが少なくなったと
いう声はよく耳にする。
白色に気づいた目が見える人達が避けてくださっているのだろう。
本当に素晴らしい道具だと感じる。
この白杖がなかったら、その使い方を教えてもらわなかったら、
こうして毎日一人で出かけるということはなかっただろう。
見えなくて歩くなんて想像できなかったし、
見えなくなった最初の頃は恐怖感でいっぱいだった。
見えないで歩いているのではなくて、白杖で見ながら歩いているという感じかな。
ただ、目のようには優れてはいない。
触った部分しか分からないから目前のものしか分からない。
空中に飛び出したものなどもどうしようもない。
でも、それだから分かることも実はある。
今朝、いつもの道で頭に新しい葉っぱが当たった。
昨日までは何もなかった。
勿論、一晩で僕の身長が伸びたわけではない。
新しい葉っぱが成長して枝が少し垂れ下がってきたのだろう。
目が見えたら無意識に避けて歩いているはずだ。
僕の頭に触ってくれたから僕は葉っぱの成長に気づけた。
誰も知らないことを僕だけが知ったような気になった。
ちょっと得をした気になった。
僕は新しい葉っぱを触って内緒話するみたいにこっそりつぶやいた。
「ありがとう。」
それからまた白杖を左右に振って歩き出した。
(2019年5月9日)

緑の匂い

目が見えなくなって他の感覚がよくなることはない。
老眼になった人の聴力がよくはならないのと同じだ。
老いと伴にどちらもが悪くなってくる人も多い。
この科学的な事実からすれば、鼻が成長する筈はない。
それなのに昔感じなかった匂いを感じることがある。
この季節の緑の匂いもそのひとつだ。
一枚一枚の葉っぱに鼻を押し付けても何も匂いは感じない。
それなのに緑の中をそよぐ風には確かに匂いがあるような気がする。
僕の思い過ごしだろうか、勘違いだろうか。
立ち止って鼻を主人公にしてゆっくりと呼吸してみる。
やっぱり微かに緑の匂いがする。
確認ができたらうれしくなる。
今度は口を開けて深呼吸する。
そしてもっとうれしくなる。
(2019年5月6日)

風景

家の裏の線路を走っていく黒くて長い貨物列車。
小学校へ向かう上り坂のその上の真っ青な空。
中学校の手前の田んぼの青々とした稲穂。
防波堤の先にある赤茶けた灯台。
砂浜で見つけた薄桃色の桜貝。
楕円形のボールを追いかけた黄色と黒の横縞のユニフォーム。
憧れた都会で初めて出会った巨大な看板。
北国で知った一面の雪の真っ白な世界。
旅先で見た世界の街並み。
僕だけの数えきれないくらいの昭和の風景がある。
確かに少し色あせてきたけれど消えることはないだろう。
平成が始まった時、僕は施設の子供達とグラウンドにいたような気がする。
挨拶をするためにまたいだ白線のまぶしさを憶えている。
それから10年近くは見えていた。
今暮らしている京都の風景も記憶にある。
休日に訪れた寺社仏閣、毎年通った美術館。
あちこち旅した時の自然の色彩も残っている。
神戸の震災の後の倒壊しかかったビルの姿も忘れられない。
そして少しずつ風景は遠ざかっていった。
令和という新しい時代を風景のない状態で迎えた。
不思議な感覚だ。
きっともう風景と出会うことはないのだろう。
ないものねだりが悲しみにつながることは分かっている。
だからあきらめたふりをする。
見えなくてもこの世界で生きていきたい。
僕は僕の人生を大切にして生きていきたい。
心のアルバムに何かを残せればと願う。
(2019年5月1日)

医療

昨日は京都LVネットワークの運営委員会、総会、そして夜は懇親会だった。
LVとはロービジョンの頭文字だ。
医療と福祉がつながっていくことを目的にネットワークが生まれた。
見えにくくなった人が、あるいは見えなくなった人が、
より豊かな人生を送れるようにとの願いがスタートとなった。
眼科医の先生方がけん引力となってくださっているのがうれしい。
こういう取り組みが広がれば笑顔を取り戻す患者さんが多くなる。
懇親会が終わって料理屋さんを出た。
バス停までは少し距離があった。
副会長の先生がさりげなく僕の手引きをしてくださった。
病気を治したかった僕、
病気を治してあげたかった先生、
お互いの希望はかなわなかったけれど、お互いの気持ちは通じ合った。
医学はパーフェクトではない。
でも、治してあげたいという思いが治療を切り開いていくのだろう。
僕の病気もいつか治るようになるのかもしれない。
僕には間に合わないとしても、それは心からうれしいことだ。
先生はバスの乗車位置の点字ブロックまで僕を誘導してくださった。
僕はお礼を伝えて別れた。
それから深呼吸をしたらしみじみとうれしくなった。
風に吹かれて歩いて帰るとおっしゃった先生の後ろ姿にこっそり手を振った。
(2019年4月29日)

電気

慣れているはずの校内でも迷子になることがある。
それが見えないということなのだろう。
ウロウロしているのに気づいた女子学生達が声をかけてくれた。
「どこに行くのですか?」
僕はトイレに行きたいことを伝えた。
昨年僕の授業を受けていた学生達だったので、
視覚障害者の手引きの方法はマスターしてくれていた。
スマートにサポートしてトイレまで連れていってくれた。
僕はお礼を言ってトイレのドアを開けて中に入った。
外で先ほどの学生達の声が聞こえた。
電気をつけ忘れたという内容だった。
僕はドアを開けて彼女達の声の方に向いた。
そして自分の目を指さしながら言った。
「大丈夫。電機は要らない。」
ほんの少し間が空いてから笑い声が聞こえた。
「分かりました。ごゆっくり。」
僕も笑った。
ほのぼのとした空気が流れた。
こんな感じ、いいなと思った。
(2019年4月26日)

温泉

晴眼者の後輩と温泉にいった。
後輩は脱衣所から洗い場、浴槽、露天風呂、しっかりとサポートしてくれた。
身体を洗っている途中に声をかけてくれた。
「背中流しましょうか?」
僕はその暖かな言葉だけいただいて辞退した。
でもうれしかった。
そして父ちゃんを思い出した。
見えなくなった僕を父ちゃんは幾度かここに連れてきてくれた。
その頃僕は40歳を過ぎていたし父ちゃんは80歳を過ぎていた。
他のお客様の邪魔にならないように、ツルツルの床ですべらないように、
見えない僕の世話は大変だったと思う。
父ちゃんは湯船に入ると必ず同じことを言った。
「温泉は気持ちいいなぁ。」
僕はその言葉を聞くと何故かとてもうれしくなった。
そしていつも、洗い場で父ちゃんと並んで身体を洗いながら迷っていた。
父ちゃんの背中を流してあげたい。
でも、距離感もアバウトだし、失敗して逆に心配させてもいけない。
ちゃんとできるかの自信もなかった。
勇気が出なかった。
父ちゃんがいつまでも生きているわけではない。
僕はある時、そう自分に言い聞かせながら決心をした。
まさに一か八かだった。
タオルに石鹸をつけて、数歩隣に動いて手探りで父ちゃんの背中を探した。
「背中流すよ。」
僕はそれだけ言って父ちゃんの背中を流した。
父ちゃんは驚いた感じだったが黙っていた。
最後にありがとうと言ってくれた。
僕は気恥ずかしさをシャワーで流した。
それから温泉に行く度に父ちゃんの背中を流した。
ささやかな僕の幸せだった。
父ちゃんが亡くなってから温泉に行くこともほとんどなくなった。
久しぶりに温泉に入って思った。
「温泉は気持ちいいなぁ。」
湯煙の向こう側で父ちゃんが笑ってくれたような気がした。
(2019年4月22日)

4回目の出会い

毎年、前期の木曜日は忙しい。
午前中に専門学校、午後に大学での仕事がある。
バスと電車の乗り換え回数が10回を超えてしまうし移動時間も3時間以上となる。
朝出かける時に気合を入れて出発する。
気の緩みは事故につながる。
僕は目が見えないんだと自分自身に言い聞かせて歩き始める。
言い聞かすことで少し背筋が伸びる。
視線も足元から一歩前にいくような感じだ。
今朝も予定通り桂駅までバスに乗った。
桂駅からは阪急電車だ。
烏丸駅で下車して地下鉄に乗り換える。
朝の烏丸駅は特に混んでいる。
慎重に歩く。
白杖が他の人の足に引っかかったりしたらいけない。
エスカレーターを下りて改札までは点字ブロックもないので足音だけが頼りだ。
感だけの世界ということになる。
緊張感もマックスの場所だ。
「一緒に行きましょう。」
彼女の手の甲は声と同時に僕の手の甲に触れた。
僕は瞬時にそこから手を上にスライドさせて彼女の肘を持った。
一番分かりやすい方法だ。
混雑している場所でゆっくりは話せない。
「ありがとうございます。視覚障害者に慣れておられますね。」
歩きながらの会話だった。
「貴方に教えてもらったのよ。今日で4回目。」
彼女は笑いながらおっしゃった。
僕が地下鉄、近鉄と乗り換えることも知っておられて、そのままそちらに向かった。
京都駅までは経路が同じだったので一緒に地下鉄に乗車した。
空いてる席を探してくださって一緒に座った。
「またいつものカードですけど。受け取ってください。」
僕は感謝を伝えながらポケットからありがとうカードを取り出して彼女に渡した。
電車が京都駅に着いた。
「私もいい一日になりそう。またいつかきっとお会いしましょう。」
彼女はそう言って降りていかれた。
彼女がどんな顔をされているのか、どんな服装なのか知らない。
何歳くらいなのか、何をされておられる方なのか、何も分からない。
分かっているのは人間だということだけ。
これまで4回出会って、5回目があるのかも分からない。
分からないということも幸せのひとつなのかもしれない。
(2019年4月19日)

8時の電話

両親が鹿児島から京都にきたのは僕が25歳の頃だった。
母が大病を患ってそれまでの暮らしが続けられなくなったのだ。
一応長男だった僕を頼ってくれたのだろう。
細々ではあったが普通の日々が続いた。
それから15年後の僕の失明さえなければ、
それはもっともっと穏やかに続いていったのかもしれない。
事実を受け止めるということは僕だけでなく家族も友人達も皆そうだったのだろう。
時間の流れの中で、
見えないということを僕も周囲も受け止めていった。
あきらめていったという方が的確かもしれない。
僕と両親との京都での暮らしは33年くらい続いたということになる。
4年前、父は93歳の生涯を閉じ、88歳の母が残った。
母は鹿児島の妹のところへ引き取られていった。
それから朝の電話が始まった。
毎朝8時に母から電話がくる。
元気という確認、それに天気の様子くらいがいつもの話題だ。
雨だったら、家から出るなと母は言う。
仕事なんかしなくていいから家で過ごすようにと言う。
大丈夫と説明すると、タクシーで行くようにと注文をつける。
僕は了解と嘘をつく。
それでも会話の最後にはいつもの言葉が続く。
「危ないから気をつけるんだよ。」
携帯電話を切って僕は少し上を見上げて、それから深く息をする。
きっと一生あきらめられないだろう母に申し訳ない思いがこみあげる。
そして深く感謝する。
(2019年4月15日)

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