コミュニケーションの力

僕は月に二度、視覚障害者施設でピアカウンセリングの仕事をしている。
施設を利用している視覚障害者の人の声に耳を傾けるという仕事だ。
特別な資格を有している訳でもないしスキルがある訳でもない。
たまたま大学が社会福祉学科だったということとこれまでの活動の延長ということに
なるのだろう。
少しでも仲間のためになればという思いで続けている。
9時に仕事が始まるので比叡山坂本駅を7時49分の快速電車に乗車する。
この電車だと乗り換えなしで行けるので有難い。
この電車を利用する時だけ彼と出会う。
彼は通勤でだいたいこの電車を利用しておられるらしい。
引っ越してきて間もない4月のことだった。
点字ブロックの上で電車待ちをしている僕に声をかけてくださった。
まだ慣れない僕は朝のラッシュの電車への乗車に不安そうに立っていたのだろう。
その日は肘を持たせてもらって無事に電車に乗車するということでスタートした。
回を重ねる毎に技術は向上していった。
やさしさが生み出すコミュニケーションの力だ。
昨日の彼は僕を見つけるとまた声をかけてくださった。
右肩にあったカバンを反対側に持ち替えてから僕の左手をその空いた右手の肘に誘導
してくださった。
それから移動して電車待ちの人の列の最後尾に並んで溶け込んだ。
電車に乗車後は乗客の方に僕が座れるようにさりげなく頼んでくださった。
それから空いた席の背中に僕の手を誘導してくださった。
これは前回お伝えした方法だった。
僕はスムーズに着席できた。
込んでいる車内、それ以外に会話はなかった。
山科駅に電車が到着した。
「お先です。」
彼はそっと僕に声をかけて降りていかれた。
「ありがとうございます。」
よし、今日も頑張るぞ。
僕は僕にできることで誰かの力になりたい。
誰かのために活動する場を社会と呼ぶのかもしれない。
動き出した電車の中でそう思った。
(2022年9月28日)

健康

9月10日の夜、突然の吐き気、腹痛、発熱に襲われた。
38度が三日間も続いたからコロナだと確信した。
連休にも邪魔されて対応ができなかった。
発熱したらお医者さんにというのは今は違うらしい。
発熱外来の予約をとるのも大変だった。
やっと検査を受けることができたがコロナは陰性だった。
勝手に信じていたので愕然とした。
熱は下がったが腹痛はなかなか治まらずほとんど絶食して過ごした。
それでも休めない仕事には点滴を打ってもらいながら対応した。
何もかもがしんどかった。
そして昨日、やっといつもにもどったと自覚できた。
結局2週間くらいの体調不良だった。
健康の有難さを痛感した。
過労にならないように休養もとりながらやっていかなくちゃと思った。
来月は鹿児島、東京、併せて2週間くらいは出張の予定だ。
今週は京都府北部の福知山市まで出かけて、トンボ返りで大学という予定も入ってい
る。
またいつもが始まる。
また活動ができる。
始まるいつもにありがとうと思う。
健康に感謝し、健康を大切にしながら頑張りたい。
(2022年9月26日)

彼岸花

庭の片隅に彼岸花が咲いた。
真っ赤な、いやあの燃えるような紅色の花だ。
今年は厳しい暑さの夏だった。
異常とも思える降り方の雨の日も幾日かあった。
つい先日は台風が吹き荒れた。
それなのに何事もなかったように咲いてくれた。
当たり前のように咲いてくれた。
お彼岸に併せて咲いてくれた。
僕は自然に合掌した。
生きていることに感謝した。
そしてこの同じ空のしたで起こってしまっている戦争を思い出した。
戦争のニュースにも慣れてしまっている自分を悲しく感じた。
あの国に彼岸花はあるのだろうか。
そっと咲いていて欲しいと願った。
(2022年9月21日)

時間

発熱してしまった。
仕事もキャンセルして家で過ごした。
いつの間にだろう
早食い競争みたいに時間を食べていたことに気づいた。
仕事という名目だったのかもしれない。
いや言い訳だったのかもしれない。
忙しいことがいいことなのだと自分で自分に魔法をかけてしまっていたようだ。
結局それは生き急いでいることで死に急いでいることだったのだろう。
どうしていいか分からないたくさんの時間の前でただ狼狽えた。
呆然とする僕に時間がエンドレスで現れた。
中学生の頃だったろうか。
港の灯台のちかくで過ごした時間を思い出した。
夏の空と海、映像のほとんどがブルーだった。
その中に砂浜、いくつかの小島、堤防、赤茶けた灯台だけがあった。
何の目的もなく何をするでもなくただそこに寝っ転がっていた。
ほとんど変化のない風景をじっと見つめていた。
見つめていたのに見ていなくて、見ていないのに見ていたような気がする。
波の音や海鳥の鳴き声、小型船のエンジン音だけが聞こえていた。
ゆっくりとゆっくりと時間は流れた。
ひょっとしたら時々時が停止していたのかもしれない。
あの頃、それを僕は幸せと呼ぶことをまだ知らなかったのだろう。
50歳を過ぎてからの故郷への帰省、僕は海へ連れて行ってと友人達に頼むようになっ
た。
当たり前のことに当たり前に気づいた。
幸せはいつも穏やかな時間の中にあったのだ。
幸せを求めて急いでもそれは幻を追いかけることに過ぎないのだろう。
これからの時間をのんびりとゆっくりと過ごしていけたらいいな。
そんなに多くなくてもいい。
でもしっかりとその時間を抱きしめられたらいい。
(2022年9月15日)

美しい楽しいカード

小学校4年生の子供達から手作りのカードが届いた。
トランプと同じくらいの大きさの固い紙で作られていた。
一人で一枚ずつ作ってくれたのだろう。
僕が子供達にプレゼントした「ありがとうカード」へのお礼の「ありがとうカード」
なのかもしれない。
点字で短い一言メッセージも書いてあった。
「わたしはむらさきがすきです。」
「がんばって。」
「がんばれ!」
「ありがとう これからも がんばって。」
こぶしを突き上げてる絵が描いてあった。
「7月4日は ありがとうございました。」
「うれしかった。」
「ありがとう にゃん」
猫がニャンと言ってる可愛い絵が描いてあった。
「ありがとう」
真っ赤なハートマークが大きく描いてあった。
「ありがとう がんばって。」
「めがみえなくても がんばってください。」
ニコニコ笑ってるニコちゃんの顔が描いてあった。
「ありがとう」
赤いチューリップが描いてあった。
「がんばってください。」
「がんばって」
カラフルな虹色でお星様がたくさん描いてあった。
「いろいろなことをおしえていただいて ありがとうございます。」
ありがとうの言葉に添えられた絵は他にもいろいろあった。
僕のサングラスの絵は三枚あった。
サングラスと白杖、点字器の絵が上手に描いてあるのもあった。
桜のお花を小鳥が見てる可愛らしい絵もあった。
点字のぶつぶつを目や鼻ととらえて、点字を使った顔みたいなのを描いてるのもあっ
た。
アイスクリームや美味しそうなスイカの絵もあった。
鮮やかな虹の絵、たくさんの星の絵、真っ赤な太陽、青い空の絵も多かった。
ひょっとしたら、僕に見せてあげたいと思ってくれたのかもしれない。
どの絵もキラキラとしていた。
見えない僕に一生懸命に描いてくれたのだ。
一枚一枚に一人一人の個性が輝いていた。
子供達は時々びっくりするような真実をさりげなく教えてくれる。
人間同士が伝え合うってどんなことなのか、また僕も勉強になった。
そしてこのプログラムを子供達と一緒に進めてくださった素敵な先生方に心から感謝
した。
こんなに美しい楽しいありがとうカードを僕も目指そうと思った。
(2022年9月9日)

台風

故郷の鹿児島県は台風がくるのは年中行事みたいなものだった。
少年時代の思い出のひとつに台風がある。
大きな台風かもしれないと分かると父ちゃんはその準備をした。
飛ばされそうなものは家の中に入れた。
あちこちを五寸釘で打ち付けた。
それから雨戸には物干し竿を針金で留めて補強をした。
小学生になると僕も少しずつ手伝いをするようになった。
思い出せばほとんど手伝いにはなっていなかったと思う。
ただ父ちゃんとの作業の時間は鮮明に憶えている。
針金をペンチで切って竿に結わえていく父ちゃんの手先まで憶えている。
とても楽しかった思い出のひとつだ。
台風は不思議と夜にきた。
トランジスタラジオの放送は雑音の方が大きかった。
停電の中のロウソクの光が家の数か所で揺れていた。
炎は押し入ってきた小さな風に揺られながら必死に耐えていた。
そして泣き叫ぶような風の音。
子供の僕はちょっとワクワクしながら布団の中で縮こまった。
朝がきて外に出るといろいろなものが散乱していた。
木の枝などが多かったと思う。
幾度か近所の家が崩壊した。
子供達は崩壊した家の前で小さな歓声をあげた。
台風という自然の力、圧倒的な力への敬意みたいなものだった。
崩壊した家の少年は下を向いて唇を噛んでいた。
それからよく遊んだ河の様子も見にいった。
どこからどこまでが河なのか分からない状態になっていた。
いつもの土手のあたりを少しだけ歩いて怖くなって引き返した。
家までの帰り道、ふと空に気づいた。
台風の過ぎ去った後の空は美しかった。
透き通るような青空に足を止めて見入った。
昨日も台風のニュースが流れた。
僕の暮らす滋賀県大津市はほとんど影響はなかった。
台風が通り過ぎる度に一連の記憶が蘇る。
透き通るような青空の青が蘇る。
窓から外を見上げる。
自然に微笑みがこぼれる。
(2022年9月7日)

70歳

バスを降りたタイミングで声をかけてくださった。
「二条駅まで一緒に行きましょうか?」
彼女はライトハウスで開催されたガイドヘルパー現任者研修を受講しての帰路、
僕はその研修の講師を終えての帰路だった。
緊張しますとおっしゃったがとても落ち着いて対応してくださった。
基本姿勢の形も歩くスピードも道の情報提供も完璧だった。
階段では最初と最後はしっかりと止まって教えてくださった。
結構な数の階段を歩いたが彼女の呼吸はまったく変化がなかった。
地下鉄の椅子への誘導も自然だった。
車内の雰囲気を察しての沈黙もさすがの対応だった。
ありがとうカードをお渡した時だけはうれしそうにされた。
65歳で定年退職になってからガイドヘルパーの仕事を始めたから70歳を超えたけど新
米だとおっしゃった。
僕は信じられなかった。
彼女のどこにも老いはなかった。
最近、僕は何歳まで頑張ろうかなどと考えることが多かったのだがそれが恥ずかしく
思えた。
数字にこだわる必要はないのかもしれない。
頑張れる間は頑張ればいいのだと自然に思えた。
人生の先輩達にいろいろと教えられてきた。
いつになったら僕はそんな先輩になれるのだろう。
ちょっと恥ずかしくなった。
このまま70歳の青年になれればいいな。
(2022年9月5日)

凛々しい顔

パソコンに向かって仕事をしながらふと手が止まってしまっていた。
コーヒーを飲みながら考えてしまっていた。
音楽を聞いていても途中で思い出していた。
畑仕事をしながらでもつい空を眺めていた。
故郷の親友がガンだと知ってからだった。
考えない日はなかった。
つい思い出してしまうのだった。
メールを書こうとしても途中で挫折した。
電話もなかなかできなかった。
日本人の二人に一人はかかる病気だ。
そういう年頃なのだ。
医療は進んでいる。
理屈をいくつも繰り返してもやはり動揺していた。
情けない小心者の僕がいた。
やっと思い切って電話した。
いつもの声が聞こえてきた。
いつもの声だった。
笑っていた。
少しだけほっとした。
病気との戦いはまだまだこれからだ。
頑張ってくれと僕は頼んだ。
真剣に頼んだ。
卒業アルバムの顔を思い出した。
白黒写真の凛々しい顔だ。
はっきりと思い出した。
きっと頑張ってくれると思った。
(2022年8月30日)

とうもろこし

北海道産のとうもろこしを頂いた。
かぶりついた。
甘いと聞いていたが予想以上だった。
品種改良、輸送技術、時代が進んでいるのだろう。
食べながら美しい黄色を思い出した。
鮮やかに思い出した。
最後に見てから25年も経ったなんて信じられない。
それくらい鮮やかな記憶なのだ。
とうもろこしからひまわりへと思い出はつながった。
黄色つながりだ。
幼稚園の長靴からカボチャの花まで思い出した。
こうして何かのタイミングで宝物の思い出が宝石箱から零れ落ちる。
魔法みたいに出てくるから不思議だ。
坂道を上ったところの空地のヒマワリ、綺麗だったなぁ。
蒼い夏空をバックに笑ってた。
少女のように笑ってた。
(2022年8月26日)

高校野球

いつの間にかラジオの放送に引き込まれていた。
気持ちだけは甲子園に出かけていたのかもしれない。
昔見たあの青空の下のグラウンドが蘇る。
金属バットの快音が夏空を飛んでいく。
アルプスの歓声が大波のように押し寄せる。
野球の神様は無情に微笑む。
帰らない時間が過ぎていく。
ゲームセットのサイレンの音が流れる。
目頭が熱くなる。
最後まで全力でプレーした選手達に拍手までしてしまう。
ありがとうと言いたくなる。
ここまで心を揺さぶられるのはどうしてなのだろう。
勝てなかった僕自身の人生と重なるのかもしれない。
三振ばかりしてきたような気がする。
エラーも多くあった。
それでも精一杯やってきたと自分を納得させているのだろうか。
起死回生のホームランは僕には無理だ。
ただ最後まであきらめないでプレーすることは僕にもできるかもしれない。
いやそうしていきたい。
(2022年8月21日)