鍛錬

家の中では白杖は使わない。
外出の時には必ず持つが帰宅したら玄関の傘立てに立てている。
サングラスも整理ダンスの一番上の引き出しに片付けている。
室内は触覚を使って移動している。
この触覚は手のひらだけではない。
手の甲、腕、身体中の触覚がセンサーみたいなものだ。
あっちを触りこっちに触れあちこちに当たりながらすりながら移動するのだ。
人の気配がある時は声も出す。
「通ります。通ります。」
つぶやきながら歩くのだ。
それで一応安全に日常生活が成り立っている。
ただ慣れというのはいい加減な行動につながってしまいがちだ。
油断が生まれたりする。
今朝もそうだった。
いつものように前方に出した手が少しずれていたのだろう。
柱の角に思い切りぶつかった。
一瞬で目が覚めた。
痛さに立ちすくんだ後、額を触ったら案の定濡れていた。
出血だ。
顔を洗って綺麗に流してからバンドエイドを貼ってもらった。
一年に一回くらいはやってしまう。
目が見えなくなった最初の頃はこの痛さに気持ちまでが萎えてしまっていた。
最近はまたやってしまったかという感じだ。
そして何故ぶつかったかの分析をしたりしている。
ぶつかってしまう技術が悔しいのだろう。
気持ちも鍛えられていくのだな。
鍛錬みたいなものかな。
でもやっぱりぶつかりたくないです。
痛いのは嫌ですからね。
極めるまで頑張ります。
(2018年11月17日)

小さな勇気

改札口を出たところで小学生くらいの少年は僕に声をかけた。
「何かお手伝いすることはありますか?」
その口調には緊張感があった。
僕はいつもの慣れた道ではあったけれど少年の申し出を受けることにした。
肘を持たせてもらってわざとゆっくりと歩いた。
どこかの小学校で出会った少年かと思いながら尋ねてみた。
そうではなかった。
学校で視覚障害について勉強したらしかった。
4年生の少年は自分の判断で見も知らぬ僕に声をかけてくれたのだった。
「学校は楽しい?」
「運動会は終わったの?」
「そろそろイチョウの葉も黄色くなってきたんじゃない?」
少年は「はい。」とだけ返事をしていた。
身体もこわばっているようだった。
歩道橋の階段までのわずか50メートルくらいを僕達はのんびりと歩いた。
階段のところで僕は少年に感謝を伝えた。
「ここで大丈夫だよ。君のお陰で安心して歩けたよ。ありがとう。」
「どういたしまして。」
少年は初めて笑った。
こんな感じで少しずつ未来が輝いていくのだろう。
少年の笑顔を感じながら未来を見たいと思った。
長生きしたいなと思った。
(2018年11月13日)

駅員さん

東京駅新幹線中央口の駅員さんは僕のチケットを見ながら、
京都駅乗り換えで桂川駅下車ということを確認された。
それから駅員室に入って連絡をされているようだった。
しばらくすると別の係員の方がこられた。
彼女は慣れた感じで僕を手引きして歩き始めた。
エスカレーターは大丈夫かと質問されたので何でも大丈夫と答えた。
エスカレーターを上りいくつかの階段も上り長いホームを歩いてのぞみ号の前まで着
いた。
まだドアは開いていなかった。
わずかな時間、僕達はホームで待機した。
「京都までご旅行ですか?」
彼女はうらやましそうに尋ねたが仕事の帰りと知って「お疲れ様です。」と笑った。
僕も「お互い様です。」と笑った。
やがてドアが開いたので彼女は僕を指定席まで誘導した。
「新幹線の乗務員に引き継いでおきます。お気をつけてお帰りください。」
それだけ言うと爽やかに立ち去った。
京都までの車中、僕はパソコンを出して溜まっていた仕事をした。
あっという間の2時間だった。
のぞみ号が京都駅に到着する前に乗務員の方がきてデッキまで誘導してくださった。
京都駅には京都駅の新幹線の駅員さんが待機していてくださって在来線の係員の方に
引き継ぎをされた。
引き継ぎされた駅員さんは大阪方面行の乗り場まで移動して僕を電車に乗車させてく
ださった。
桂川駅のホームには桂川駅の駅員さんが待機していてくださった。
僕を見つけるなり「まず荷物を持ちましょう。」と僕の持っていた紙袋を預かってく
ださった。
僕は電車の最後尾の車掌さんの近くに乗車していたのでホームを端から歩く感じだっ
た。
長い距離を駅員さんはゆっくりと歩かれた。
「どこまでご案内すればいいですか?」
僕はタクシー乗り場までお願いした。
「おトイレは大丈夫ですか?」
彼は言葉数は少なかったけれどまさに心のこもった対応をしておられた。
タクシー乗り場に着いた。
「たったこれだけの荷物なのですが、持ってくださったのでとても歩きやすかったで
す。
トイレも尋ねてくださって安心でした。
本当にありがとうございました。」
僕はしっかりと頭を下げた。
「そんな風に言ってもらえるとこちらもうれしいです。
荷物はタクシーに座られてからお渡ししますね。」
駅員さんは笑顔で話しておられた。
「お世話になりました。ありがとうございました。」
僕の言葉が終わってからタクシーのドアは閉まった。
目が見えたら何事もなく、ひょっとしたら誰とも会話もせずに一人で京都まで帰って
これただろう。
見えないから6名の駅員さんのお世話になった。
そして幸せな気持ちになった。
(2018年11月8日)

大虎

時間は16時を過ぎたくらいだった。
僕は午前午後と別々の場所での会議を終えて、三つ目の会議の会場に向かっていた。
疲労度も高くなっていた。
四条大宮から乗車したバスは満員だった。
どこか空いてる席があれば座りたいと思ったがすぐにあきらめた。
頭上のつり革にしがみついて立っていた。
三つ目のバス停で酔っ払いの男性が乗車してきた。
「ハロー ハロー レディースアンドジェントルマン!」
彼は上機嫌だった。
「ハロー ハロー、ほんまによう飲んだわ。」
声や話しぶりからして僕と同世代だろう。
京都のバスは後方のドアから乗車して前方のドアから降車するようになっている。
彼も周囲の乗客に話しかけながら少しずつ前に移動を始めた。
勿論、誰も相手にしなかった。
それでも上機嫌の彼は楽しそうだった。
「ハロー ハロー 酒はいいなぁ。」
彼は狭い通路をよたよたしながら僕の横まできて僕の肩をたたいた。
「ハロー ジェントルマン」
アルコールの匂いがプンプンしていた。
僕も返事はしなかった。
彼はしばらく僕の横に立っていた。
それから突然僕の手を取って椅子の背もたれに誘導した。
「シットダウン シットダウン プリーズ!」
混雑しているバスの中で僕の前の座席は空いていたのだ。
誰かが空けてくださったのかもしれない。
白杖の僕に気づいて他の乗客は遠慮されたのかもしれない。
でも僕には空いていることは分からなかった。
僕は座った。
それから彼の顔の方を見て少し大きな声で言った。
「ありがとう。」
「オーケー オーケー」
彼はうれしそうに笑って僕の左手を両手で包んだ。
そして1秒くらいだったがギュッと握った。
手を離してからは彼はまた前に動き始めた。
「ハロー ハロー レディースアンドジェントルマン!」
彼は相変わらずで歩いていった。
なんとなくだけど車内の空気は少し変化したように感じた。
「おっちゃん、上機嫌やなぁ。飲み過ぎたらあかんで。」
今度は前方のおばちゃんが相手をした。
「2軒行ったんや。これから3軒目に行くねん。酒はいいなぁ。」
彼は次のバス停で降りていった。
「サンキュー おつりはチップやで。」
おつりを返そうと運転手さんがマイクで呼びかけたが彼はそのまま歩いていった。
きっと外でもハローと言いながらヨタヨタしながら次のお店に向かったのだろう。
僕は久しぶりにとっても幸せな気分になっていた。
「おっちゃん、ありがとう。」
心の中でもう一度つぶやいた。
(2018年11月3日)

偶然の電話

教師をしていた彼女を病魔は突然襲ったらしい。
ゴール目前で退職を余儀なくされたということはさぞかし無念だっただろう。
「どの子供にも平等にと思っていたのでついついいつも全力で仕事をしていました。
身体が悲鳴をあげているのに気づかなかった。
教え子にはどんなことがあっても前を向いて生きていくように話していました。
だから、失明した自分が下を向いたまま生きることができませんでした。」
彼女は言葉少なに語った。
懐かしそうに語った。
その言葉が僕の胸に突き刺さった。
それはそのまま僕の人生だった。
見える頃僕は児童福祉の仕事に携わっていた。
大好きな仕事だった。
ほとんど見えなくなってしまって仕事を辞めた時はぬけがらみたいになっていた。
悔しさと悲しみで幾度も心が折れそうになった。
「人生、何があってもしっかりと前を向いて生きていきなさい。」
子供達に話していた言葉がそのまま自分にふりかかった。
やっとの思いで前を向いてやっとの思いで足を前に出した。
少しずつ少しずつ歩いていった。
あれから20年の歳月が流れた。
ふとしたきっかけで僕は電話で彼女と話をした。
そしてたまたま偶然、それぞれの似通った人生を振り返った。
彼女は僕を先生と呼んだが僕はそんな偉い人ではない。
視覚障害者としては僕の方が少し先輩なのだろう。
僕が社会に発信している様々なメッセージに共感するとおっしゃってくださった。
仲間にそんな風に言われるのは何よりも光栄なことだと思っている。
彼女は言葉を選びながらゆっくりと話をされた。
語り口には気品があって声には力が宿っていた。
教師時代を彷彿させるものがあった。
素敵な先生だったのだろうなと思った。
「今度どこかで出会ったら握手してください。」
僕は彼女にお願いした。
お互いの生きている幸せを分かち合いたいと思った。
(2018年10月30日)

募金

JR桂川駅に着いた。
駅前ではあしなが育英会の募金活動が行われていた。
募金は交通事故や自殺などで親を亡くした子供達の奨学金となる。
僕は見えている頃児童福祉の仕事に携わっていた。
大好きな仕事だった。
見えなくなって仕事は続けられなかったけれど思いだけはずっとある。
だからあしなが育英会に出会ったら必ず募金すると決めている。
けちん坊だから金額に迷うので、
小銭入れにある小銭を全部寄付と10年くらい前に決めた。
小銭がなかったら千円札1枚だ。
そう決めておけば迷うことはない。
ところが数年前、愕然となったことがあった。
友人に貸していた7千円が500円玉で返ってきたことがあって、
その帰りにあしなが育英会と出会ってしまったのだ。
「どうして今日なの?」
さすがに一瞬迷ったが、意を決して募金した。
苦い思い出だ。
思い出が苦いということは根っからのけちん坊ということなのだろう。
今日はそんなには入っていなかった。
千円には届かなかったかもしれない。
僕はいつものように係りの人にコインを渡した。
「小銭入れに今日はこれだけしかありませんでした。ごめんね。」
「ありがとうございました。」
担当の若者が驚くような大きな声でありがとうを言ってくれた。
あんなに喜んでくれるのならもう少し入っていれば良かったのに。
僕はまた少し変な後悔をした。
やっぱり僕は現金な奴です。
(2018年10月28日)

忘年会

忘年会のお誘いが届いた。
今月も後一週間、そしていよいよ2018年も残り2か月となる。
ついこの前スタートしたはずだったのにゴールがそこまできている。
年々時の流れが加速しているように感じるのは何故だろう。
僕のせいか、社会のせいか、両方かもしれない。
生き急ぐということは死に急ぐということだろう。
切なくなる。
子供の頃の時間は穏やかだった。
そして豊かだった。
だから思い出はキラキラしているのかもしれない。
この辺りでちょっと見直してみよう。
これからの僕の時間、大切にしっかりと刻みたい。
いつ止まるかは僕にも誰にも分らない。
でも間違いなくいつか僕の時も止まる。
潮風に吹かれながら温泉にでもつかって、僕の人生にありがとうを言いたい。
そっと言いたい。
(2018年10月25日)

新田神社

同級生の肘を持ち白杖で段差を確認しながら一段ずつ上っていった。
高校生の頃は駆け上った記憶もある。
そこを息を切らしながら、時々よろけながら上っていった。
これは目のせいではないよなと思いながら上っていった。
手を清めてから参拝した。
また来れたということへの感謝が湧き出た。
腰を下ろして空気を深く吸い込んだ。
肺臓が喜んでいるような気がした。
帰り際に参道の楠の木を触った。
樹齢700年前後と案内板に書かれてあった。
高さ20メートル、枝ぶりは30メートル、
根元の幹の部分は人間が両手を広げても何人も必要な感じだった。
そして生きていた。
木の肌から感じる微妙な湿気が生命を教えてくれていた。
それだけで心が落ち着いた。
そして小さな僕の生命、愛おしく感じた。
(2018年10月20日)

おもてなし

彼は僕をコーヒー専門店に案内してくれた。
年明けに予定されている講演会の打ち合わせが目的だった。
僕達はおいしいコーヒーを飲みながら打ち合わせをした。
主催者としての講演への思い、当日のスケジュールの説明などを聞いた。
それから、京都から会場までのアクセスや宿泊ホテルなどの確認もすませた。
店内に漂うコーヒーの香りはそれだけで僕を幸せにしていた。
打ち合わせを終えて役員さん達との会食の会場へ向かう前、
彼は2枚の点字の文書を僕に手渡した。
1枚目にはこれから一緒に食事をする役員さんの肩書きなどが書かれてあった。
初対面の人達とのコミュニケーションがうまくいくようにとの配慮が感じられた。
2枚目には食事の献立が書かれてあった。
食いしん坊の僕を理解してのことだろう。
ちなみに点字文書はわざわざボランティアさんに依頼して作られたとのことだった。
その流れでの会食はとても豊かな時間になった。
「肩の凝らないざっくばらんなメンバーです。」
彼の説明通りだった。
仕事を終えて各地から参集してくださった役員さん達は皆あたたかかった。
そしてイベントを成功させようとの思いが団結していた。
単純に講師に過ぎない僕までもがその輪の中に入れてもらえたような気になった。
楽しいおいしい時間だった。
心のこもったおもてなしに、僕も心でこたえたいと強く思った。
(2018年10月18日)

白杖

目が見えづらくなってきた若者からメールで相談を受けた。
僕はすぐに返信をしたがメールの不具合で届かなかった。
彼がどこに住んでいるのかは分からないが、
年齢は20歳を超えていると書いてあった。
家族が勧めてくれても白杖を持つことができないとの内容だった。
僕は自分が初めて白杖を持った頃を思い出した。
20年程前、ライトハウスで白杖での歩行訓練を受けたのがきっかけとなった。
最初はその姿を受け入れることができなかった。
他人の目が気になった。
知り合いに見られたくないとも思った。
それは僕だけではなかった。
とりあえず訓練を受けるけれど、少しでも見えるうちは使わない。
夜だけしか使わない。
自宅の最寄り駅までたどり着いたら、
白杖を折りたたんでリュックサックにしまい、見えるふりをして歩く。
40名ほどの訓練生の中で多くの人達が白杖を拒んだようだった。
20年の間に社会は少し変わった。
ハードルは少し低くなったのかもしれない。
街を歩けば、白杖の人とすれ違うことも増えた。
視覚障害者の数が増えたわけではない。
持ちやすい雰囲気になってきたのだろう。
でもまだまだ一部だし地域差も大きい。
僕達の問題ではなくてそれを受け入れる社会の側の問題なのだろう。
簡単には変わらない。
僕が後輩に言えることって少ししかない。
とりあえず、持てば安全度は高まります。
周囲が気にかけてくれます。
技術を習得すれば、歩行能力も高まり活動範囲も広がります。
そして僕の周囲には白杖を持って素敵に生きている人達がたくさんいます。
かっこいいと言われる人もいます。
可愛いと言われる人もいます。
そして使っている人達は手離せない道具となっています。
白杖に感謝さえしています。
僕も感謝しています。
白杖を持っての人生、それなりの幸せもありますよ。
その人次第だと思います。
(2018年10月15日)

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