無言の手

バスはほぼ満員状態だった。
祇園祭の山鉾巡行の日だからと予想していたし、
座るなんて無理と最初からあきらめていた。
僕は押し流されるようにバスの中まで移動してから吊革をにぎった。
その僕の手を誰かが握った。
間違って握られたのだと思ったが違った。
僕の手を握った手がそのまま僕をゆっくりと引っ張った。
そして僕が立っていた後ろの席に誘導した。
ずっと無言だった。
座ろうとした時、また別の手が僕のもう片方の手を握った。
それもまた無言の手だった。
両方の手を支えられるようにしながら僕は座った。
僕がちゃんと座るのを見届けたように手は離れた。
「ありがとうございます。」
僕は声を出した。
それを聞き終えたように手の持ち主が会話を始めた。
二人の若い感じの女性だった。
韓国語だった。
無言だった理由が分かった。
僕はふと今朝のニュースを思い出した。
日本と韓国のもめ事のニュースだった。
同じ人間の手がこぶしを握れば悲しくなる。
武器を持てば恐ろしいことが起こる。
お互いに触れれば優しくなる。
同じ人間の手なのに。
僕は手の持ち主に再度「ありがとうございました。」と伝えてバスを降りた。
韓国語のありがとうを憶えておきたいと思った。
(2019年7月17日)

プール

最寄りのバス停から8時48分のバスに乗車する日だけその子に会える。
それも平日だけだ。
最初にその子を意識したのはもう一年くらい前だろうか。
バス停に近づいた僕にその子が何か言った。
何と言ったのかも僕に言ったのかも分からなかった。
僕はそれを無視した。
しばらくしてまたそのバスに乗る日、同じ状況があった。
「おはががが」と聞こえた。
僕はひょっとしてと思って立ち止った。
僕のひょっとしては当たっていた。
知的障害のある子だった。
その子はお母さんと一緒に支援学校の送迎バスを待っているのだった。
お母さんがその子の言葉をアシストした。
「おはようございます。」
僕は笑顔になって返した。
「おはようございます。」
それから、その子は僕を見つける度に挨拶をしてくれるようになった。
いつの間にか、その時間にその子に会うのが僕の楽しみにもなった。
先日会ったら、挨拶以外の言葉があった。
またお母さんがアシストしてくださった。
プールがあると言ってくれたらしかった。
その子の喜びと興奮が伝わってくるようだった。
僕は夏の陽ざしの中のプールを思い出した。
うれしくなった。
「行ってらっしゃい。」
僕は大きな声で挨拶を返した。
(2019年7月13日)

さくらんぼ

初夏になると食べたくなるもののひとつがさくらんぼだ。
一年という時の流れの中ではほんの一瞬の果物かもしれない。
年に一度だからと贅沢して大粒を口に含む。
甘いが、ほっぺたが落ちるほどの美味しさでもない。
でもうれしくなる。
なんとなく幸せになる。
色を尋ねると赤とピンクの中間らしいが、
僕の頭の中では下地が黄色で赤やピンクに染まっている。
いくら尋ねても僕の想像とは違う。
20代の頃、果物屋さんで見たのは確かにそんな感じだったような気がする。
高価で食べる機会はほとんどなかった。
10歳代では缶詰のさくらんぼがあった。
お店でソーメンを食べると入っていた。
フルーツポンチにも入っていた。
色付けしているのは僕にも判った。
朱色に近かったような気がする。
子供の頃はさくらんぼ自体を知らなかった。
時代によって変わっていくのかもしれない。
品種だけでなく、物流の技術なども関係しているのだろう。
昔も今も、口に含んだら幸せ感を感じるのは何故だろう。
可愛らしい形状だからかな。
さくらんぼを口に含んで空を眺めたら、
やっぱり真っ青な夏の空だった。
夏が始まるんだ。
(2019年7月9日)

ホーム

忙しい一日だった。
充実感と疲労感を自覚しながらホームへ続く階段を下りていった。
階段が終わりに差し掛かる頃、いつものように緊張感が膨らんだ。
怖さから生まれる緊張感だ。
子供の頃は人一倍幽霊が怖かった。
成人してもジェットコースターには乗れなかった。
怖がりで弱虫だった。
見えなくなって性格が変わるはずはない。
その僕が目隠し状態でホームを歩くのだ。
点字ブロックのすぐ脇には線路がある。
想像しただけでゾッとする。
時々電車が通り過ぎる。
その音を聞いて風を受けただけで足が竦む。
立ち止ってしまいたい。
でも少しずつ前に向かって進む。
乗車駅と降車駅の構造が違うので歩かなければいけない場所なのだ。
「一緒に行きましょうか?」
男性が声をかけてくださった。
僕はすぐさま彼の肘を持った。
歩きながらいろいろ話をした。
電車も一緒に乗った。
彼は夜勤の多い仕事でこれから出勤とのことだった。
ビルのスプリンクラーなどの点検補修をする仕事とのことだった。
大変そうだなと思ったが社会の一員として活躍しておられる姿があった。
なんとなく輝いておられた。
「失礼ですけど何歳ですか?」
僕は突然彼に尋ねた。
43歳とのことだった。
僕が最後の光を失ったのがその頃だった。
最寄り駅に着くまでの数分間、不思議な気持ちになっていた。
失明がなかったら僕の人生はどうなっていたのだろう。
人生にたらればなんか存在しないということは知っているのにふとそんなことを考え
た。
「ホームで声をかけてくださって肘を持たせてもらった時、ほっとしたのですよ。
落ちなくてすみますからね。」
僕はしっかりとお礼を伝えて電車を降りた。
ドアの位置が階段と違うことに気づいた彼は、
わざわざ電車を降りて僕を階段まで誘導してくださった。
そして急いで電車に戻られた。
数秒してからアナウンスが聞こえた。
「急行のドアが閉まります。」
間に合われたようだった。
「彼のような優しい人がいつまでも元気に普通に働いていけますように。」
僕は階段を上りながらなんとなく願った。
(2019年7月5日)

お煎餅

一日一枚、決めたはずだが止まらない。
パリパリポリポリ、止まらない。
食べ過ぎはよくない。
カロリーはどうだろう。
もう一人の僕がささやくのだけれど止まらない。
結局今日も5枚も食べてしまった。
お煎餅好きの僕の味覚にぴったりはまってしまった。
堅いのが好き。
お醤油の香ばしいのが好き。
パリパリの海苔巻きだったら最高。
ひとつひとつが絶品だった。
柚子みそ味には興奮してしまった。
お煎餅好きを再認識した。
ひょんなことで頂いたお土産だった。
予定外のお土産だった。
深いお付き合いでも昔からの知り合いでもなかった。
それなのに僕の好みにバッチリの品物だった。
こういうのをラッキーって言うのだろう。
神様からご褒美をもらったような気になった。
5枚食べ終わってふと気づいた。
見える人は個包装に書いてある品名で開ける前から味が分かる。
ひょっとしたらそれを読んでから選ぶかもしれない。
見えない僕は個包装を開けるまで分からない。
口に運ぶタイミングで味と香りに出会う。
分からないで開けて堅い醤油味の海苔巻き煎餅に出会った時の感動。
見えない僕達だけが味わえる幸せかもしれないな。
これって得をしているってことかな。
(2019年7月2日)

梅雨空

「松永さん、お久しぶりです。」
彼女は僕に声をかけてから氏名を名乗った。
声での認識はできなかったけれど、氏名は記憶にあった。
初めて出会ったのは小学校での福祉授業だった。
中学生の時も高校生になってからも偶然地元の駅で出会った。
今回はたまにしか使わない駅での再会だった。
彼女は大学生になっていた。
目指す職業のために頑張っていることを教えてくれた。
たったそれだけの会話を交わし、握手をし、それから彼女は雑踏に消えていった。
コーラを飲んだ後のような爽やかな感覚になった。
見えなくなって活動を始めてからの時間を考えた。
長い時間が流れたのだなと思った。
見えないのが普通になったのだなとなんとなく思った。
普通になったのはうれしいことなのか残念なことなのか分からない。
ただこれからどれだけの時間が通り過ぎたとしても、
見えることへの憧れは持っていたいなと思う。
持ち続けて生きていきたい。
そんなことを思ったら、ついまたいつものように空を眺めてしまった。
梅雨空さえも愛おしく感じた。
(2019年6月28日)

メロン

甘いメロンの香りが鼻腔をくすぐった。
脳まで沁みていくのを感じた。
スプーンやフォークで食べるのが上品なのかもしれないが、
僕は六つ切りになったメロンの両端を掴んで頬張った。
唇から鼻の頭までベタベタにしながらメロンを味わった。
送ってくれた北海道の友人の可愛い笑い声が聞こえそうな気になった。
特徴のある笑い声だった。
京都からは遠いから、また会う予定も今のところはない。
自分が元気だよと伝えるために、
僕に元気で頑張れよと励ますために送ってくださったのだろう。
一期一会という言葉を思い出した。
人間同士っていいなと思った。
食べ終わってラジオをつけたら、夏至になったことを知った。
メロンの残り香の中で夏の始まりを感じた。
(2019年6月24日)

50年後

いつも歩いている道。
いつものバス停。
天候が悪いわけでもなかった。
あえて言い訳をすればちょっと疲れていたということくらいだろう。
早朝から夜遅くまでの仕事が続いていた。
でもそれも珍しいことでもなかった。
時々あることだった。
それなのに見事に失敗した。
整備された歩道上の分かりやすいはずの点字ブロックを探すことができなかった。
バス停を知らせるしっかりとした点字ブロックだ。
前方を白杖で探っても見つけられなかったので、
行き過ぎたと判断して折り返した。
「何かお手伝いしましょうか?」
バッチリのタイミング、そして模範解答のような言葉かけだった。
僕はバス停がどこか分からなくなってしまっていることを伝えた。
彼女は自分の手の甲を僕の手の甲にそっと触れてくれた。
僕は何の問題もなく彼女の肘を持つことができた。
彼女は僕が掴んだ手をまっすぐ伸ばしたまま、しかも脇をしめて歩いてくれた。
プロのガイドさんのようだった。
バス停はすぐ近くだった。
僕があきらめた地点からほんの数十センチ先だったのかもしれない。
見えないとはそういうことなのだ。
点字ブロックを確認した時にやっと、彼女の声が若いことに気づいた。
「学生さんですか?」
昨日福祉授業で訪れた中学校の一年生だった。
登校中の三人組の女子中学生だったのだ。
声かけもサポートも上手だったので中学生とはすぐには気づかなかった。
僕は驚いたがとてもうれしかった。
学んだことをすぐに実践してくれたのだ。
中学一年生ということは12歳か13歳ということになる。
50年後、彼女たちは僕と同じ年齢になる。
彼女達が創っていく未来、どうなっているのだろう。
ワクワクすりような気分になった。
(2019年6月21日)

スキップ

始発からのバスだった。
問題なく座席に座れた。
目的地まで50分くらいかかるのでリュックサックを肩からはずして足元に置いた。
パソコンを出して仕事するか、スマホで音楽を楽しむか一瞬迷ったが、
遊び大好き人間の僕は音楽を選んだ。
リュックサックからブルートゥースイヤホンを取り出して耳に装着した。
ソニー製で音は外に漏れないタイプのものだ。
それからスマホでYouTubeのアプリを起動させた。
ミニコンサートが始まった。
懐かしい楽曲が僕をどんどん幸せにしていった。
楽しい時間だった。
停留所案内のアナウンスで目的地のふたつ前のバス停を確認できた。
僕は後片付けをして降車の準備をした。
僕の降りる予定の停留所のアナウンスが流れた。
僕は降車ボタンを探した。
座席の周囲をあちこち触ったが見つけられなかった。
停留所はどんどん近くなってきた。
あせった。
大きな声を出して運転手さんに知らせるしかないかと迷った瞬間、
降車ボタンが押された音がした。
「次、停まります。」
案内放送も流れた。
ほっとした。
間もなくバスは停留所に停まった。
先頭近くの座席の僕は間違いなく一番最初に降車口に向かった。
「気をつけてゆっくり降りてくださいね。」
運転手さんに見守られながらバスを降りた。
一歩進んだ時、バスのドアが閉まった。
降りたのは僕だけだった。
僕を見ていた誰かがボタンを押してくださったのだと分かった。
僕はバスを振り返ってお辞儀をした。
そっと見ていてくださる人もいるんだ。
歩き始めたら先ほどの音楽が頭の中で蘇った。
スキップをしたい気持ちになった。
(2019年6月20日)

比叡山

視覚障害のリハビリを終了した仲間の同窓会があった。
ライトハウスには100名を超す人が集まった。
昨年の修了生も20年前の修了生も同じテーブルで歓談した。
現役の訓練生も恩師の先生方も一緒になった。
仲間の講演には心が震えた。
それぞれがそれぞれの人生を歩いていることを再確認した。
ボランティアの方も多く参加してくださった。
大学生から後期高齢者の方まで年齢層もいろいろだったが、
寄り添ってくださる思いは同じだった。
予定のプログラムがすべて終了して役員はほっとしていた。
反省会が始まるまでのわずかな時間のことだった。
ボランティアの男性が僕に話しかけられた。
「松永さん、目の前の壁面の大きなガラス窓を知っている?」
もう20年近く出入りしているのに知らなかった。
見えないとはそういうことだ。
「千本通りを挟んで低いビルがあるんだけど、
その上に比叡山がはっきりと見えるんだよ。
西日を浴びてとても美しい。一枚の絵だね。」
僕の頭の中に美しい比叡山が蘇った。
見えている頃、よく比叡山を見ていた。
四季折々に見ていた。
大好きな山だった。
窓ガラス一杯の比叡山が僕の頭の中一杯になった。
ひょっとしたら、もう見ることができないのは悲しいことなのかもしれない。
でも、その時の僕には喜びだけがあった。
幸福感に包まれていた。
仲間と集う、寄り添ってくださる人達と交わる、それはとても幸せな時間。
父の日に大好きなボランティアさんと会えて、やっぱりいい一日となった。
(2019年6月17日)

古い記事へ «