和菓子

講演を終えて校門を出る時、彼女は小さな紙袋を僕に手渡した。
地元の和菓子だった。
帰宅してから僕はゆっくりと味わった。
甘さが抑えられた和菓子が緑茶によく似合った。
ほんのりと栗の味を主張していた。
彼女が秋を手土産にしてくれたのを感じた。
若い頃はあまり和菓子を食べようとは思わなかった。
最近、時々少しだけ食べたいと思うようになった。
年齢を重ねて味覚が変化したのだろう。
舌先は確かに成長したように感じる。
味だけではなくて、素材の触感、深み、季節感まで感じられるようになった。
見えなくても味わうことはできる。
幸せのひとつだ。
心を広げて秋の味覚を堪能したい。
(2018年9月17日)

迷子

ここ数日は7時過ぎに家を出て夜に帰るという日々が続いていた。
今日もそうだった。
ちょっと疲れていたのかもしれない。
午前中の小学校での4時間の福祉授業を終えてから次の目的地に向かった。
関わっている法人の理事会に出席するためだった。
間に合った。
大切な会議にしっかりと参加できて充実感もあった。
2時間の会議を終えて帰路についた。
たまにしか歩かないその道は誘導のための点字ブロックが路面に埋もれていた。
劣化してしまっているのだ。
慎重に白杖で確認しながら歩いた。
スーパーで買い物をして帰るつもりだった。
突然携帯電話が鳴った。
僕は道の端に動いて電話をとった。
大切な仕事の電話だった。
検討課題について意見交換する電話だったのでちょっと長電話になった。
電話を切って驚いた。
方向が分からなくなってしまっていたのだ。
白杖で点字ブロックを探そうとしたができなかった。
自分が歩道にいるのかさえ分からなくなっていた。
横を何台ものトラックが走り抜けた。
僕は恐怖感で動けなくなった。
僕の小心者はこういう時に役に立つ。
ここで動いてしまえば事故につながることになるのかもしれない。
きっと誰かが気付いて助けてくれる。
僕は自分に言い聞かせてただ立ちすくんだ。
しばらくして声が聞こえた。
「お手伝いしましょうか?」
若い男性の声だった。
僕は声とほとんど同時に彼の肘を持たせてもらった。
肘を持った瞬間、助かったと思った。
僕は迷子状態で恐怖の中にいたことを伝えた。
彼は僕の目的のスーパーまで案内すると言ってくれた。
僕は遠慮は全部捨ててお願いすることにした。
恐怖感が大きかったのだろう。
歩き始めてすぐに彼は21歳の大学生だと自己紹介した。
そして境谷小学校4年生の時に僕の話を聞いたと教えてくれた。
アイマスク体験がとても怖かったと僕を包むように言ってくれた。
今も小学校に行っているかと尋ねられたので今日も午前中に行ってきたと返事した。
彼は喜んでくれた。
11年前にきっと出会っていたであろう少年は逞しい青年になっていた。
思いを込めて蒔いた種がこうして発芽していることを心からうれしいと感じた。
僕はスーパーの入り口で彼にお礼を伝えて別れた。
買い物を終えて帰りながら、今日の午前中の小学校の児童の質問を思い出した。
「もし見えるようになったら何をしたいですか?」
僕はしばらく考えてから答えた。
「思いっきり走りたい。」
そして付け加えた。
「もし見えたらって尋ねる時に、尋ねる人の心の中には、
見せてあげたいって気持ちがあるらしいよ。
ありがとう。」
今日出会った小学校の子供達の中から、
10年先にきっと今日のような若者が出てくる。
そう思ったらまた元気が出てきた。
明日もまた小学校の福祉授業だ。
希望を抱きしめて、子供達に会いに行こう。
(2018年9月12日)

ぐうたら

本当に忙しい人は忙しいとは言わない。
そういう人は忙しいと感じる暇がないのだろう。
僕は中途半端なせいか時々感じてしまう。
まだゆとりがある証拠なのだろう。
いや元々がぐうたらだから、
少し忙しくなっただけでそう思ってしまうのかもしれない。
現実逃避のひとつだ。
最近も忙しいと感じる日々を送っていた。
ひとつ仕事が終わるとふたつ仕事が生まれるというような感覚だった。
今日の仕事は京都府の北部にある宮津市での講座だった。
僕の最寄りからは特急電車を利用しても片道3時間はかかった。
宮津までの特急電車の中でもパソコンを出して仕事をしてしまう始末だった。
宮津駅の改札口にはボランティアさんが待っていてくれた。
彼女はこの春まで京都市内で大学生活を送っていて僕の活動をよく手伝ってくれた。
卒業して宮津市の近くに就職した。
今回僕が宮津市での仕事と知って手伝ってくれたのだ。
講座が終わると彼女は僕を車の助手席に座らせた。
そして海沿いの道を車を走らせた。
静かな砂浜の波打ち際まで案内してくれた。
僕達は腰を降ろして海の音楽に聞き入った。
波の音、風の音、海鳥の鳴き声、自然のコンサートホールだった。
音の強弱、変化、動き、見えなくなって手に入れた感覚かもしれない。
耳がよくなったわけではないが深く感じられるようになったのは間違いない。
空気が僕を包み込み脳までが溶けていくような時間だった。
帰りの特急電車では仕事はしなかった。
忙しくなる必要がないことを再確認した。
ぐうたらはぐうたららしくゆっくりのんびりやっていこうと思った。
(2018年9月9日)

車内販売のホットコーヒー

視覚障害者の外出の支援をする専門家をガイドヘルパーと言う。
その制度が同行援護だ。
僕達にとってはとても大切な制度ということになる。
制度を研究して国に要望をしたり研修会を企画しているのが同行援護事業所等連絡会
という団体だ。
会議や研修会などは定期的に開催されるが、
僕はその運営委員で副会長もしているので休むわけにはいかない。
同行援護の新しいテキストの執筆にも関わってその回数は増える一方だ。
開催場所はほとんどが東京だから毎月のように東京へ行っている。
研修によっては宿泊を伴うものもあるから年間かなりの日数をつぎ込んでいるという
ことになる。
交通費と宿泊費は補償されるが日当などはない。
収入のない仕事だ。
収入がないということは仕事という表現はおかしいのかもしれないが、
僕にとってはとても大切な仕事という認識だ。
頑張れば日本中の仲間の笑顔につながっていく。
その思いだけがエネルギーになっているのかもしれない。
それでも京都に帰る新幹線の中ではいつもぐったりしている。
自分のキャパ以上の仕事なのかもしれないし、
脳を酷使するからかもしれない。
疲れているとわがままな心をなかなか抑えられない。
いつも100円のコンビニコーヒーを愛飲している僕が
つい車内販売のコーヒーを注文してしまう。
自分へのごほうびと言い聞かせながらゆっくりと味わう。
やっぱりおいしい。
また次も頑張ろう、自然にそう思えてくる。
ごほうびは大切だとしみじみ思う。
320円のごほうびです。
(2018年9月6日)

科学の進歩

授業の始まる前に少女は僕の首にマイクをかけてくれた。
毎年この小学校にお招き頂いているのだがここには難聴学級がある。
マイクは特別なもので僕の声が彼女の補聴器にだけ届くということになっている。
これまではそうだった。
学びやすい環境になってきているのだと驚いたものだ。
ところが今年のマイクはまた進化していた。
彼女はタブレットを持っていたが、
僕の話した言葉がマイクを通して文字に変換されるという仕組みだった。
「UDトーク」というアプリがあって、
完璧とまではいかないが十分に補助となるとのことだった。
僕のスマートフォンには「OCR」というアプリがはいっている。
撮影した文字を読んでくれるのだ。
頂いた名刺、郵便物、結構しっかりと読んでくれる。
助かっている。
「TapTapSee」というアプリも時々使っている。
写真を撮影するとその画像を説明してくれるのだ。
「黒い椅子に座った白いドレスシャツの女性」というような感じだ。
スマートフォン自体が見えない人が使うことを想定して製品化されていて、
しかもこういうアプリが無料でダウンロードできるから驚く。
科学は日進月歩だ。
もうしばらくしたら、画像解析の精度も高くなるだろう。
「美人度82パーセント!」
と説明してくれる日も近いかもしれない。
そうすれば想像力は退化していくのかな。
知らない方が幸せってきっとあるのにな。
いやいや、科学の進歩の恩恵に与って感謝しています。
(2018年9月2日)

福祉授業

小学校の福祉授業の感想文が届いた。
ボランティアさんに読んでもらった。
それぞれの言葉がキラキラと輝いていた。
「見えないってたいへんなことと知ったとき、
当たり前ってとても幸せなことだなと改めて実感しました。」
素直な言葉に僕はついつい頷いた。
「いつか目が見えなくなった時のために今から点字を勉強します。」
思わず笑ってしまった。
「バスや電車で席を教えてあげることを実行します。」
決意が伝わってきた。
「私は、松永さんのお手伝いをさせていただきました。
障害者の方をお手伝いしたことは一度もなかったので、新しい一歩を踏み出せた気
がしました。」
10歳の子供達の感性にはいつも驚かされる。
ひとつひとつの言葉の力が僕を笑顔にした。
それを僕に読ませたいと思ってくださる先生方の気持ちもうれしかった。
それは間違いなく僕達へのエールだ。
読み終わって気づいた。
子供たちが僕の背中を押してくれ僕の視線を未来に導いてくれている。
僕の心の白杖になってくれているのだ。
もうすぐまた秋の福祉授業が始まる。
思いを込めて次の子供達に出会いたい。
(2018年8月29日)

どて煮

好きこそもののとは言うけれど、
彼女の料理の腕前はすごい。
彼女と出会ってからもう10年以上になる。
その時間の流れの中で彼女の病気は徐々に進行していった。
視力はほとんどなくなってしまった。
もう文字を読むこともできなくなったし、一人で移動する距離も短くなった。
年を重ねる中での失明はきっといろいろ大変なはずだ。
それでも彼女は料理だけはやめようとはしない。
彼女の得意料理のひとつ、どて煮を食べたくなった。
図々しい僕は彼女にそれをお願いした。
届けられたどて煮はやっぱり美味だった。
どんなお店のどて煮よりも美味だった。
僕はうれしくなった。
見えなくなって失っていくもの、見えなくなっても失いたくないもの、
きっとあるのだろう。
やっぱり美味だったと彼女に報告した。
そう言ってもらえる瞬間が幸せなのだと彼女は笑った。
その言葉で僕はまたうれしくなった。
(2018年8月26日)

点字の手紙

NPO法人ブライトミッションが町家カフェさわさわを運営している。
僕はその法人の理事長をやってはいるのだが、
多忙さに追われてなかなかさわさわに顔を出すことができていない。
申し訳ないという思いはいつもある。
それでもたまに顔を出すと職員さんもスタッフの人達も笑顔で迎えてくれる。
有難いことだと思う。
先日も久しぶりに顔を出した。
スタッフから、お客様が残していった点字の手紙を渡された。
小学生と中学生の兄弟からのものだった。
夏休みの一日、家族でさわさわに来てくれたらしい。
中学生の兄は小学校4年生の時に僕の福祉授業を受けた。
手紙にはその思い出が書いてあった。
その小学校へ来月行く予定が入っている。
今度はその弟と会うことになるようだ。
弟は点字で氏名を書いていた。
さわさわのスタッフに書き方を教えてもらったのだろう。
少年時代、僕は障害者の人との接点はなかった。
大人になっても健常者と障害者というようにどこかで区別をしてしまっていた。
出会う機会がなかったからだろう。
目が見えない僕とこうして普通に点字のやりとりができる少年達はどんな大人になっ
ていくのだろう。
いろんな人とコミュニケーションがとれれば人生は豊かになっていく。
心が広がっていく。
うらやましい気もする。
この秋もたくさんの子供達に出会う。
一緒に未来を語りたい。
(2018年8月25日)

朝のバス停で

体力作りのためにバス停2つ分を歩くのが最近の僕の朝のスタートとなっている。
時間にすれば20分、2千歩程度のささやかな距離だ。
60歳代は頑張ろうと決心してから始めた。
健康と体力が大事と思ったからだ。
冬の終わりの頃に始めたのだからもう数か月になる。
僕にしてはよく続いている。
サングラスをかけてリュックサックを背負って、
白杖を左右に振りながら前方の安全を確認しながら歩くのだ。
スピードは一般の人と変わらない。
20年の間に培った技術だろう。
頭の中の地図に従って、バス停の点字ブロックをキャッチするまで歩くのだ。
爽やかな気持ちで今朝も歩いた。
バス停に着いたら三名のおばあちゃんがいすに座っておられた。
つくつくぼうしに負けない感じで話しておられた。
しばらくしてバスが到着した。
ところがドアが開いても行先の案内放送が聞こえない。
僕は慌てておばあちゃん達に声を出した。
「何番のバスですか?」
「あ、あ、あ・・・。」
その間にバスはドアが閉まって発車してしまった。
その後でやっと一人のおばあちゃんが教えてくださった。
「ヤサカの桂川行のバスだったよ。」
幸い僕の乗りたいバスではなかったのでほっとした。
僕は大きな声で「ありがとうございます。」と言った。
「急やったから判っていたけど言葉が出なかったんや。」
さっきのおばあちゃんが笑った。
「私もあとしか言えんかった。プール行ってるのになぁ。」
別のおばあちゃんがつぶやいた。
そこからプールが認知症に効果があるかという話題に発展していった。
僕は吹き出しそうになるのをこらえて聞いていた。
やがてまたバスのエンジン音がした。
「ほら、黄色じゃなくて緑のバスに乗りなさいよ。」
「そうそう緑やで。」
おばあちゃん達は僕に教えようとはしていた。
ただ白杖の僕を理解はできていないようだった。
僕はあっけにとられたが、
幸いバスの行先案内の放送は聞こえたので対応はできた。
バスに乗車してからなんとなくおばあちゃん達が愛おしくなった。
元気でいることがとても素敵なことなのだと思えた。
(2018年8月20日)

あら煮定食

「おいしそうに召し上がりますね。」
黙々と食べる僕を見てガイドさんはうれしそうに笑った。
和食屋さんで僕が頼んだのはあら煮定食だった。
見えないと魚の骨が危ないのではないかと尋ねる人がいるが僕は大丈夫だ。
海の近くで生まれた僕は子供の頃から魚を食べて育った。
お刺身も煮物もフライも食べていた。
お味噌汁のだしはイリコだったし具は浜でとれたワカメだったりした。
父ちゃんが釣ってきた魚も当たり前のように食卓に並んだ。
唇の感覚で骨を選別することをいつの間にか覚えていったのだろう。
だから見えなくても何の問題もない。
骨についている身までしゃぶる感じで食べてしまうから、
見える人よりもきれいに食べると言われることも多い。
きっと魚好きなのだろう。
祖父ちゃんはその最後の骨に熱いお茶をかけておいしそうに飲んでいたと聞いたが、
僕はまだそこまではやらない。
もうちょっと年をとったら挑戦しようかとは思っている。
あら煮を綺麗に骨だけ残してそれに熱いお茶をかけておいしそうに飲む全盲の老人。
ちょっとかっこいいと憧れている。
まだもうちょっと修行してからだな。
そんなことを考えていたら彼女に指摘された。
「考え事しながら食べておられますね。」
美味しいものは時間まで美味しくしてしまうから不思議だ。
食いしん坊ってことかな。
(2018年8月16日)

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