真っ白な新米

米どころの有人から新米が届いた。
開けた箱の中には僕の好物の海苔巻きおかきなども入っていたから笑ってしまった。
届けてくれたのは視覚障害の有人だった。
見えていた頃は学生時代の同級生や職場の先輩や同僚などとのお付き合いがほとんど
だった。
見えなくなってからたくさんの視覚障害の仲間と出会った。
時には視覚以外の障害の人とも出会った。
その数は少しずつ増えていった。
見える頃は故郷の鹿児島県と居住地の京都での交流がほとんどだったが、見えなくな
って地理的にもどんどん広域になっていった。
障害者団体の活動に参加したり同行援護の制度に関わったのが大きな理由だろう。
当たり前のことだけど、障害があろうがなかろうが素敵な人に出会うことになった。
素敵な人に出会うと僕自身の人生が豊かになっていった。
「白鳥が朝晩鳴き交わして飛んでいきます。
毎年の冬の使者です。
耳で季節を感じることにも慣れてきました。
大雪しないことを祈るばかりです。
お米を送ったとの知らせのメールにはそう書かれてあった。
僕は炊き立ての新米を味わいながら僕の知らない土地の暮らしを想像した。
真っ白に輝くご飯が真っ白な雪に溶け込んだ。
彼女の心が織りなす風景が伝わってきた。
その空に舞う真っ白な白鳥もきれいだろうなと思った。
秋から冬に白が輝き出すのだ。
彼女の心配とは裏腹に僕の心はそれを期待してしまう。
雪国での白杖は大変なのよと怒られそうだ。
そうか、真っ白な白杖もその風景に似合うかもしれない。
いつか訪ねてみたいと思った。
(2022年11月25日)

丁度になる

僕はホームで京都行の電車を待っていた。
電車が到着しドアが開いた瞬間、突然彼の右手が僕の左手を強く掴んだ。
無言だった。
僕を電車に誘導しようとしての行動だと分かった。
でもそれは僕にとってはとても怖さを感じてしまう方法だ。
僕は瞬時にその手を振りほどいて彼の右ひじを持たせてもらった。
それでも彼の右手は僕の背後から僕を支えようと動いた。
肘を持たせてもらえば大丈夫ですと説明したが返事は聞こえなかった。
満員状態の電車に乗ると彼は空いている席を探してくださった。
どうやって座らせようかとのぎこちなさが感じられたので僕は白杖を使いながら自力
で座った。
「ありがとうございます。助かりました。」
僕は御礼を言った。
やっぱり彼は無言だった。
電車が京都駅に到着して僕が立ち上がった時、彼はまた僕の手を掴もうとされた。
ずっと横にいてくださったらしい。
僕はまたその手を振りほどいて彼の右ひじを持たせてもらった。
ホームに降りたタイミングで僕はありがとうカードをお渡しして感謝を伝えた。
結局彼は終始無言だった。
半月ほどして彼に再会したが最初は彼だとは分からなかった。
同じ駅でやっぱり電車のドアが開いた瞬間だった。
彼は今度は僕を掴もうとはされなかった。
彼の右手を僕の左手にトントンとして僕に掴むようにと促してくださった。
この方法をされる人は時々おられるのでその時点で彼とは分からなかったのだ。
電車に乗車した後は少し中まで移動して手すりを触らせてくださった。
僕達は乗降口から少し離れた場所に経ったまま20分を過ごした。
込んでいたので僕も会話は控えた。
お互いにずっと無言だった。
電車が京都駅に到着して僕が降りようと動き始めた瞬間だった。
彼はまた僕を掴もうとされた。
終点の京都駅で乗客が一気に降り口のドアに向かう。
そこを動く白杖の僕を危険に思われたのだろう。
僕はまたその手を振りほどいて彼の右ひじを持たせてもらった。
ホームでありがとうカードをお渡ししようとして僕は初めて前回の彼だったことを知
った。
「名刺はこの前もらった。」
初めて聞く彼の声だった。
それだけ言うと彼はホームの雑踏の中に消えていかれた。
僕は前回と同じ曜日の同じ時刻の電車だったことに気づいた。
三回目もやはり同じ曜日の同じ時間帯だった。
今度はホームではなく改札口だった。
偶然そこで出会ったのか、いや僕の姿を見て待っていてくださったのかもしれない。
彼はまた僕の手にトントンとされた。
僕はその時点で彼だとほとんど確信した。
単独移動の時は僕は階段を使う。
点字ブロックで階段を使う地図が頭の中にあるからだ。
彼は僕を連れてエレベーターに行かれた。
ホームに到着して電車待ちの時間があった。
「今日で三回目ですね。ありがとうございます。」
僕はそう伝えた。
彼は小さな声で話を始められた。
60歳を過ぎた頃に心臓の手術をされたらしい。
それでも75歳になった今もなんとか働いているとのことだった。
そして僕に少しは見えるのかと尋ねられた。
僕は動きがスムーズらしくてそう尋ねられることがよくある。
僕は光も分からない全盲で40歳くらいにそうなったと答えた。
彼はしばらくの無言の後、小さな声でおっしゃった。
「40歳まで見えていて良かったかもしれん。」
「そうですね。僕もそう思っています。」
僕は微笑んで答えた。
彼が微笑まれたのがなんとなく分かった。
それから長い沈黙があった。
電車の到着を知らせる放送が流れ始めた時だった。
「あかんことがあって、いいこともあって、最後は丁度になる。」
彼はそれだけ言うとまたトントンとされた。
電車に乗る時はやっぱり彼の右手は僕を支えようと動いた。
いつものように一緒に京都駅まで向かった。
京都駅で別れる時、彼はまた口を開かれた。
「気をつけていきなさい。」
僕はもうありがとうカードを渡そうとはしなかった。
そして深く頭を下げて感謝を伝え彼と別れた。
「丁度になる。」
彼の励ましの言葉が心の中でこだました。
人間っていいな。
うれしさが込み上げてきた。
(2022年11月21日)

いい色の日

街を歩くとあちこちから聞こえてくる。
「きれいだね。」
「秋だね。」
「素晴らしいね。」
「美しいね。」
自然が織りなす色彩につい言葉がこぼれてしまっているのだろう。
それを聞きながら、僕の頭の中にもいろいろな画像が蘇る。
映画のワンシーンのように、一枚の絵画のように蘇る。
赤茶けた桜の木の葉、黄色から黄金色に移り行く銀杏の葉、常緑樹の緑、こげ茶や茶
褐色の木の幹、足元の灰色の石、青い空、そこに浮かぶ薄い白色の雲・・・。
次から次へと思い出す。
最後に見てから25年の歳月が流れた。
朧気になっている記憶が増えてきたのも事実だ。
それでもまだ残ってくれている景色がある。
思い出せる色がある。
日常の僕の目の前には何も変化のない灰色の世界が横たわっている。
そのせいかもしれないが、こうして時々蘇る色彩をとても愛おしく思う。
その時の僕には悲しさがないわけではない。
でも、それを包み込むやさしさが生まれてきていることも感じる。
見えていた時も見えなくなってからもかけがえのない人生ということなのだろう。
昨日11月16日は「いいいろの日」だったらしい。
そういうことを提案できる社会のセンスに感謝したい。
(2022年11月17日)

皆既月食

皆既月食が見られると報道された日の朝、全盲の友人からメールが届いた。
「今夜は皆既月食です。お月様が欠けてなくなり、また現れるそうです。赤いお月様
になるそうです。綺麗ですね。」
別の友人から届いたメールにも皆既月食のことが書いてあった。
「お月様が赤くなるんだって。お空に梅干しがある感じかな。きれいだね。」
メールを読み終えた僕はクスッと笑って幸せになっていった。
皆既月食なんて見えない僕達には無縁と思われがちだ。
確かに実際に見るということはできない。
それでもこうして語り合っているのが事実なのだ。
不思議な事実なのだ。
そこには悲しみがあるわけではない。
苦しみがあるわけでもない。
淡々と受け入れていく心が存在するのだ。
見たくないと言えば嘘になる。
見たいと言う思いを消し去ることはできない。
でも見ることができないから無縁というものではないのだ。
人間の心の柔軟さなのかしたたかさなのか、両方かもしれない。
そしてそこにささやかな幸せがあるのもまた事実なのだ。
(2022年11月11日)

「じゃあ、またね。」

文化の日、僕は仕事だった。
講義回数確保のために大学自体が通常開講となったのだ。
祭日が休みでないというのは僕も学生もきっと同じ気持ちだろう。
ため息をマスクで隠すようにして家を出た。
最寄り駅のホームで電車を待つ時間、爽やかな秋風が吹いているのを感じた。
行楽日和だなと思いながら電車に乗車した。
予定では京都駅で地下鉄に乗り換えるつもりだったが急遽変更した。
秋の行楽シーズン、全国旅行支援、祭日、京都駅、相当な混雑が予想できた。
リスクを避けるのも技術だ。
僕は遠回りだけど山科駅で地下鉄に乗り換えることにした。
地下鉄東西線は全駅がホームドアで安全だ。
烏丸御池駅で烏丸線に乗り換える時はやはり想像した通りだった。
白杖でホームに向かう点字ブロックを確認しながら進んだが途中であきらめた。
ホーム上のたくさんの人の中を進むのは大変だと思ったからだ。
乗る電車を一本遅らせて人が少なくなってから対応することにした。
少し離れたところで立っていた。
電車がホームに入ってくる音がした。
「一緒に乗りますか?」
ご婦人の声だった。
「助かります。」
僕はすかさず彼女の肘を持たせてもらった。
乗りながら、彼女は京都駅まで、僕は終点の竹田駅までということが確認できた。
乗車すると彼女は僕の手を手すりに誘導しようとしてくださった。
その時、端っこの席が空いているのに気づかれたようだった。
いや、僕に気づいた人が譲ってくださったのかもしれない。
彼女は僕に座るかと尋ねてくださった。
僕は喜んで座った。
今朝家を出る時に今日は一日座れないだろうなと覚悟していた。
僕はきっとマスクでもわかるくらいの満面の笑みだったと思う。
彼女にありがとうカードを手渡した。
三つめが京都駅だった。
京都駅までの間に彼女はありがとうカードに目を通してくださったのだろう。
電車が京都駅に到着する寸前、少しかがんで僕の耳元でおっしゃった。
「松永さん、じゃあ、またね。」
「はい、じゃあ、また。」
僕は子供の頃のように自然にそう返した。
じゃあ、またね。
少年時代、そう言い合いながら友達と別れて一日が終わっていた。
さよならだけど、また会えますようにという願いの言葉だったのだ。
いい言葉だなとうれしくなった。
そう言い続ければ、きっとどこかで会えるかもしれない。
じゃあ、またね。
(2022年11月6日)

日本点字制定記念日

僕は少しだけ点字が読める。
40歳で失明した後、京都ライトハウスで社会復帰のための訓練を受けた。
白杖歩行、点字の読み書き、音声パソコン、日常生活訓練などだ。
最初に点字を指先で触った時は愕然とした。
ただのブツブツだった。
週3回のペースで点字を学んだが遅々として進まなかった。
教えてくださった先生は全盲の年配の女性だった。
いろいろな訓練生に寄り添ってくださっているのが伝わってきた。
自分ではおっしゃらなかったが風の噂で先生の失明理由を知った。
17歳の時、通り魔に液体をかけられて一瞬にして光を失ったということだった。
それを知った時になかなか習得できなくてイライラする自分を恥ずかしいと感じた。
挫折しそうになる僕にかけてくださる先生の声は優しくて力強かった。
いつも励ましてくださった。
それからせめて五十音と数字は読めるようになろうと頑張った。
同期生の何割かはアルファベットまで読めるようになったから僕の努力嫌いはやはり
一流だったのだと思う。
点字を読めるようになって良かったと実感するのはトイレを使用した時だ。
流すボタンに「ながす」と書いてある。
ウォシュレットの好きな僕はここの点字にも助けられている。
「おしり」、「つよく」、「とめ」などのボタンをちゃんと使えるのだ。
先日お出会いした人の名刺には点字で肩書、氏名、電話番号が書かれていた。
僕との名刺交換のために手作りで準備してくださったものだった。
その気持ちがしみじみとうれしかった。
視覚障害者は点字を使用するとよく言われるが実際の使用率は低い。
一般の文字が読めなくなった人の中で点字使用者は1割程度ではないかと言われてい
る。
視覚障害原因の一位が緑内障、二位が糖尿病網膜症、障害発生時期はほとんどが中高
年という現代の日本では仕方のないことだ。
点字を教えてくれる場所、教えてくれる先生、そしてやる気、根気、すべてが整って
習得ということになる。
点字ができるということは失った読み書きを取り戻すということだ。
天国にいらっしゃる先生にあらためて感謝したい。
今日11月1日は「日本点字制定記念日」だ。
点字のなかった時代、見えない人は文字のない世界にいたということになる。
想像しただけで怖くなる。
点字、この素晴らしい文字はきっと永遠に僕達をサポートしてくれると思う。
(2022年11月1日)

ホテルにて

手探りでデスクの端にある電気ポットを探す。
コードを取り出してこれまた手探りでテーブルの上にあるコンセントにつなぐ。
それからポット本体だけを持って洗面台に向かう。
ポットの蓋を外して蛇口にあてる。
ポットを持っている手で感じる重さと変化する音を頼りに水道水を入れる。
元の場所にもどったらそのポットをセットしてお湯を沸かす。
沸かし始めた音を確認したらコーヒーカップにスティックコーヒーの粉を入れる。
持参したいつものイノダコーヒーだ。
沸騰したお湯を少しずつカップに注ぐ。
一番集中する瞬間だ。
こぼしたらいけない。
少し注いでカップを持つ。
重たさを確認するのだ。
それを数回繰り返してモーニングコーヒーの準備終了。
スマートフォンのシリを呼び出してリクエストする。
「朝のクラシックを聞きたい。」
音楽の中でコーヒーを飲みながら静かに時が動き出す。
東京のホテルでの三日目の朝が始まる。
コロナの影響で3年ぶりとなった研修会は定員を上回る応募があった。
4日間連続の研修会は結構ハードなカリキュラムとなっている。
受講生も僕達スタッフも体力が必要だ。
あとどれくらい僕は関われるのだろうとふと思ったりしてしまう。
とにかく関われる今は頑張るしかない。
受講してくださった人達に思いと感謝を伝えるのが僕の役目だ。
コーヒーを飲み終えて身支度を始める。
白杖のグリップを握った右手に少し力が入る。
いい仕事をしたいと思う。
(2022年10月28日)

フェンシングの剣

彼女から電話が入ったのは京都駅で地下鉄に乗り換えるタイミングだった。
14時くらいだったと思う。
「試合が終わったので今から大学に向かいます。
間に合わないかもしれないので待ってもらう必要はありません。」
それだけ言うと彼女は電話を切った。
大学のフェンシング部で活動している彼女はたまたま僕の担当科目を受講してくれて
いる。
僕の担当科目は「社会福祉特殊講義」という名称で選択科目となっている。
午後にポツリと入っている科目だし講師も僕なので受講学生数は多くはない。
たくさんの学生に受講して欲しいと思っているが仕方ない現実だ。
でも、少ないと学生達との距離も近くなるというメリットもある。
教室に入ってくる時に学生達は「こんにちは」と声をかけてくれる。
出ていく時も「ありがとうございました。」と声をかけてくれる。
他の科目ではあまり見かけられない光景らしい。
勿論初めの頃はそんなことはなかった。
いつの間にか少しずつ、学生達は見えない僕を理解していってくれているのだろう。
有難いことだと思う。
その学生達の中でも彼女は欠席ゼロの熱心な学生だ。
ただこの日は大学のフェンシング部として大会に出場するということで公欠扱いとな
っていた。
だから実際には来なくてもいいという状況だった。
大学の講義は90分なのだが僕はだいたい80分くらいで終わっている。
いつものように15時15分丁度に講義を始めて1時間以上が計かした時だった。
彼女がそっと教室に入ってきた足音に気づいた。
それから間もなく講義は終了した。
ほとんどの学生達が教室を出ていった後、彼女は教壇のところまできた。
そして僕にフェンシングの剣を手渡した。
持ち方やどういう感じで動かすとか説明してくれた。
握り方に戸惑っている僕の手を取ってきちんと握らせてくれた。
重量が違う剣や持ち手の違う剣も触らせてくれた。
勿論僕はそれを手に取るのは初めてだった。
その重たさと金属の鋭さに驚いた。
頭からすっぽりかぶるヘルメットのような防具も触らせてくれた。
重たかった。
「これ以外には特別な防具はないので体中があざだらけです。」
彼女は腕まくりをして見せてくれた。
近くにいた学生がそのたくさんの青あざを説明してくれた。
「間に合って良かったです。先生に剣を見せたいと思っていたから。」
彼女は微笑んだ。
素敵な笑顔だった。
この学生と出会わなかったら本物のフェンシングの剣を見ることはきっと一生なかっ
ただろう。
僕が見るというのは持つということ、握るということ、触るということ。
彼女はしっかりと見せてくれた。
うれしい思い出となった。
(2022年10月24日)

本当の言葉

講演が終わって後片付けをしている時だった。
主催団体の関係者である男性が僕の前に経たれた。
役職もある立場ということはきっともう50歳は過ぎておられるだろう。
挨拶も慣れておられるしイベントなどへの対応も数えきれないくらい経験しておられ
るはずだ。
僕自身の日常からしても中年男性は無難に過ごすことに長けているようだ。
街中でのサポートの声を分析すると、一番多い声は若い男性だ。
その次が中年女性、それから若い女性、高齢者、最後が中年男性かな。
勿論声だけの分析だし、あくまでも個人的な感想だ。
中年男性が周囲を気にせずにアクションを起こすには結構エネルギーが要るのだと感
じている。
僕の前に立たれたその中年男性は短い言葉を僕に伝えて去っていかれた。
「松永さん、感動しました。」
中年、いや高年の僕もやはり短い言葉だった。
「ありがとうございました。話を聞いて頂けて感謝です。」
会場を出て帰路についた車内で彼の短い言葉がリフレインした。
少しずつ喜びが沸き上がってきた。
短い言葉が真実だったということだろう。
伝える口調もまたそうだったのだろう。
僕自身の活動もそうなのかもしれない。
言葉の数などに頼ってはいけない。
心の中の本当の言葉を思いを込めて伝えることが大切なのだ。
僕自身も間違いなく彼の短い言葉に感動したということだったのだ。
(2022年10月21日)

ごんぎつね

信子先生と出会ったのは2005年だったと思う。
「風になってください」が2004年の暮れに慣行された。
翌年に出会ったということになる。
当時保育園の園長をしておられた先生はたまたま僕の本を読んでくださった。
読み終わってすぐに数十冊を購入して保育士の先生方にプレゼントされたらしい。
うれしかった。
地域や保護者の研修会にもお招きくださった。
それからのお付き合いだ。
保育園を退職されてから先生との交流は深まった。
僕と会う時間のゆとりが先生にできたということ、僕が先生の朗読に魅かれたのが大
きな理由だったと思う。
故郷への帰省、先生のご自宅を訪ねて朗読を拝聴するのが恒例行事となった。
田園の中にある静かな家でコーヒーを頂きながらの贅沢な時間だ。
毎年違う絵本を準備してくださった。
今年は新見南吉の「ごんぎつね」だった。
これまでこの作品は小学校の頃から幾度となく読む機会があった。
若い頃に演劇も見たことがあるし、朗読も聞いたことがあったと思う。
先生は僕のために読んでくださった。
強弱をつけながら音量も変えながら読んでくださった。
でもそれは意図的ではなく自然に変化しているものだった。
僕はどんどん違う世界に入っていった。
魂がゆっくりと穏やかになっていくのが分かった。
そして膨らんでいくのを感じた。
生まれたてのようになっていった。
真っ赤な彼岸花のシーン、ずっとあったはずなのにこれまで記憶になかった。
「もう80歳を超えたから上手には読めないけど。」
先生は読み終わった後にそうおっしゃったがそこには年齢は無縁だった。
柔らかな空気、豊潤な時間だった。
僕はきっと、彼岸花の季節になると「ごんぎつね」を思い出すことになると思う。
そして先生との出会いを見つめることになるのだろう。
僕の目は景色どころか光さえ感じなくなってしまった。
そしてそれはきっとずっと続くのだろう。
でも、確かに僕の幸せはあるのだ。
ささやかかもしれないが確かに存在するのだ。
そしてそれは人間同士の交わりの中にある。
有難いことだとしみじみと思う。
(2022年10月17日)