暖冬

この季節、ユニクロの腰丈まであるダウンコートを着て歩いていることが多い。
朝出かける時は丁度いい感じだ。
ところが日中になると少し暑くなってしまう。
大寒の時期だというのにどうなっているのだろう。
子供の頃に日本は温帯気候と教わったが亜熱帯気候に近くなっているように感じる。
温暖化のニュースを聞きながら人間と言う生き物の愚かさを悲しく感じる。
僕もその一人なのだ。
今年はまだ雪を見ていない。
雪の風景を想像しようと試みてもなかなかうまくいかない。
あの顔に当たる感覚と冷たさが記憶を呼び戻してくれるのだろう。
粉雪が頬に当たる瞬間、幸せな瞬間だ。
残された冬の日、出会えますように!
(2020年1月21日)

たぬき

友人が連れていってくれたお店はわら天神の近くだった。
昔ながらの食堂という感じのお店だった。
いつも混んでいるとの前情報だったが、やっぱり混んでいた。
老若男女、いろいろなお客さんがおられた。
なんとなく懐かしい雰囲気だった。
友人のお勧めの「たぬき」を頼んだ。
京風の薄味のおだしであんかけになっていた。
その上にすりおろした生姜がたっぷりのっていた。
友人がお箸で溶いてくれた。
うどんは柔らかかった。
最近は腰があるのが多くなっているが、子供の頃食べていたのはこのうどんだった。
刻んだおあげと少しのネギがアクセントになっていた。
フーフー言いながら食べた。
飾り気のない味が胃袋にしみていった。
愛され続けてきた味なのだと感じた。
おだしも飲み干してしまった。
食べ終えて、薄めのお番茶で口を整えた。
この幸せが640円。
身体も心もあたたまった。
この年になって味覚は少し成熟したような気がする。
値段にも見た目にも惑わされなくなった。
いや、見た目はたまたま見ていないだけなんですけど。
見えなくなっても食いしん坊は進化するってことかなぁ。
(2020年1月16日)

寒椿

僕の目の前は色で例えるなら灰色一色の状態だ。
朝でも夜でも変化はない。
季節によっても変化はない。
その中を白杖を左右に振って歩いている。
不思議な感覚なのだろうが、もうすっかり慣れてしまった。
変化のない画像の中を歩くのはとにかく退屈だ。
よく歩く地元の道もついこの前まではそうだった。
ところが最近はその場所に近づくと少しうれしくなる。
ガイドさんが偶然教えてくださったのだ。
この季節、そこみはピンク色の寒椿が咲いているのだ。
冷たい空気の中でそっと咲いている姿は健気で愛らしい。
見えていないはずの僕の心までをやさしくしてくれる。
存在自体に力があるのだろう。
素敵だなと感じてしまう。
今度生まれてくる時は道端の一輪の花もいいな。
白杖の人が近くを通ったらそっと応援してあげよう。
(2020年1月13日)

仕事始め

仕事が始まった。
初仕事は介護福祉士養成の専門学校での講義だった。
コミュニケーション技術(視覚障害の理解)というのが僕の担当科目だ。
視覚障害の現状、障害の意味、特性、支援方法などを教えなければならない。
講義だけではなく演習にも関わる。
自分の個人的な体験だけでは深い内容にはならない。
自分自身が学び続けることが大切だ。
勉強は嫌いだったはずなのに、
仕事となったら真面目に取り組んでいるから不思議なものだ。
専門学校や大学の講義は一コマが90分の設定だから、結構体力も要る。
時々2コマ連続で実施することもあるのだが、終わったら疲労感を覚える。
上手に手抜きをするのも技術だと言われるのだが、僕のレベルではそうはいかない。
今回は1コマの通常の講義だったが、初対面の学生達だったので結構疲れた。
帰路、学校から駅までを学生達がサポートしてくれることになった。
ジェンさんとクリスさんとケイさんの3人のフィリピンからの留学生達だった。
日本語は一応大丈夫というレベルだ。
教える法も学ぶ法も大変だ。
視覚障害者のサポートは初めてとのことだった。
僕はポイントポイントで止まって、ゆっくりと教えた。
道順は僕が頭の中の地図でリードした。
彼女達はそれに驚いていたようだった。
とにかく無事に駅まで着いた。
大切なのは、相手を思う気持ちなのだろう。
僕は改札を入って、振り返って、彼女達にバイバイをした。
彼女達も笑顔でバイバイをした。
(2020年1月8日)

出会い

友人から新年のプレゼントが届いた。
彼はスーパーマーケットの移動販売に携わっている。
毎日車を運転してお客様に商品を運んでいる。
待っていてくださる人達の笑顔が彼の生きがいらしい。
お客様に渡す手作りのお守りを僕にも送ってくれたのだ。
珍しい甘納豆がメインだったのかもしれないが、僕はそっと添えられたお守りの方が
うれしかった。
仕事の途中、ちょっと疲れた時になど、彼は僕のブログを読んでくれている。
最初の著書「風になってください」の頃からの支援者だ。
ということは、もう15年くらいのお付き合いということになる。
出会ったのは一回だけだ。
年齢はどちらが年上だったか忘れてしまった。
住所の記憶も定かではない。
どんな人生を歩んでこられたのかもほとんど知らない。
きっと見つめる未来の方向が同じということなのだろう。
それでも人はつながれる。
それだから人はつながれる。
5円玉の付いたお守り、それを触っただけで笑顔になった。
僕はすぐにいつも使っているリュックサックに仕舞った。
今年も素敵な出会いがあるといいな。
(2020年1月4日)

大晦日

華やかなステージの様子がラジオから流れていた。
演出が際限なくエスカレートしているのを感じた。
僕は白杖を拭きながらなんとなく聞いていた。
突然、昨日のニュースが脳裏に蘇った。
世界では飢餓に苦しむ人達が増えているらしい。
お腹を空かせて死んでいく子供達の数も伝えていた。
昔、写真週刊誌で見た少年の姿を思い出した。
ガリガリの身体でお腹だけが異様に膨らんでいた。
栄養失調の少年の姿だった。
その眼差しまで思い出した。
僕はいたたまれなくなってラジオのスイッチを切った。
ただ、無力の自分を悲しく感じた。
眠りから覚めたら、また新しい年が始まる。
この星のために何が僕にできるのだろう。
白杖を拭き終わったら少し気持ちが落ち着いた。
2020年、しっかりと目を見開いて、前を向いて歩いていきたい。
(2019年12月31日)

活動記録

今年の活動を振り返ってみた。
小学校24校、中学校16校、高校4校、福祉や医療の専門学校7校、大学4校、
警察学校、消防学校、社会福祉関係研修会、一般企業、講演回数を合計すれば100
回を超えた。
出会った人たちの数は1万人を超えただろう。
足を運んだ場所も半分近くは京都市以外だった。
まさに元気で精力的に活動できたということだろう。
インフルエンザでドタキャンした中学校がひとつあったことだけが悔やまれる。
生身の人間という証明かな。
京都市内を歩く時はよく足に重りをつけて歩いた。
片方に1キロずつの重りだ。
先日一緒に歩いた人に「巨人の星みたいでしょう。」と言ったら、
「ドラゴンボールみたいですね。」と返された。
ジェネレーションギャップかな。
そして一日5千歩を目標とした。
平均すれば90パーセントの達成率だと思う。
何も見えない中でどうして僕は歩くのだろう。
何のために歩くのだろう。
どこに向かって歩くのだろう。
それを見つけるために歩いているのかもしれない。
そして一緒に歩いてくださる人達がいて、今年も活動を続けることができた。
一人一人の皆様に心から感謝を伝えたい。
このホームページも1年で15万アクセスを超えた。
そのひとつひとつのアクセスの向こう側にはやさしい笑顔がある。
それを思えば、僕も笑顔になれる。
(2019年12月28日)

師走の東京

今年も残りわずかとなった師走の数日を僕は東京で過ごした。
同行援護の研修に参加するためだ。
受講生の皆さんは視覚障害者ガイドヘルパーの養成に携わっておられる先生方だ。
まさにプロの学びの場だ。
毎回、全国から集われて定員いっぱいとなっている。
僕は当事者として参加している。
光栄なことだと思う。
せっかくの機会、仲間の思いを伝える役目ができればと思っているのだが、
実際には僕では力不足の部分も多い。
他の講師陣に助けてもらいながら何とかやっているというのが現状だ。
それでも講座の終了日、僕の中にはささやかな満足感が生まれていた。
受講生の皆さんと交わした何気ない会話、意見のやりとり、質問への対応、そのひと
つひとつに真剣さが潜んでいた。
その真剣さがここまでの歴史を刻んできたのだろう。
僕が3歳の時に日本で白い杖が登場した。
高校生の頃にガイドヘルパーが始まった。
役場と病院にしか行けない制度だった。
それ以外の外出を先輩達は命がけでやっておられたということだ。
全国をカバーする同行援護の制度が登場したのが2011年、
まだまだ改善していかなければならない部分は多くある。
普通に生きていきたい僕達がいて、それを応援してくださる人達がいてくださって、
やっとここまでこれた。
でも、ゴールはまだまだ遥か向こうだ。
受講生の皆さんの真剣さの中にはそれぞれあたたかなぬくもりがあった。
一気に劇的に変えていくようなぬくもりではない。
でも、決して揺るがない消えることのないぬくもりだ。
見えない僕の胸にそっと伝わってきた。
今年もまた、師走の東京はやさしい思い出となった。
(2019年12月23日)

インフルエンザ

大学の講義を終える頃、身体の異常に気付いた。
しんどくてフラフラ状態だった。
学校を出てタクシーでかかりつけの医院に直行した。
インフルエンザA型だった。
頭がガンガンして体温が38度を超えた。
平熱が35度台の僕にしたらとんでもない高熱だ。
思考能力もなくなり食欲もゼロになった。
帰宅してベッドに潜り込んだ。
青息吐息で携帯電話を握った。
予定にあった翌日の中学校の講演をキャンセルした。
迷惑をかけてしまったことを申し訳なく思った。
そして悔しかった。
ワクチンも接種していたが防げなかった。
講演などの仕事は穴を空けることはできない。
予定してくださっていた関係者に多大な迷惑をかけてしまうことは想像できる。
そして穴を空けたことはほとんどない。
健康だけが僕のとりえみたいなものだ。
残念でたまらなかった。
健康の大切さ、有難さを痛感した。
来週は東京での研修の講師が予定されている。
気を引き締めてまた頑張ろうと思った。
(2019年12月15日)

栄光館のチャペル

栄光館の建物の三階にあるチャペルで講話をする機会を頂いた。
栄光館は歴史の重みを感じさせる重厚な雰囲気が漂っていた。
新島襄の妻の八重の葬儀はここで行われたし、ヘレンケラーの来日の際の講演会場に
もなった建物だ。
そこの三階に続く石段はそのままだった。
エレベーターも何もなかった。
自分の足で一段一段を上っていった。
不思議な感覚になった。
チャペルにはおごそかな空気が流れていた。
歴史が過去の者ではなくて今につながって生きていることを感じさせられた。
僕自身が洗浄されていくような気がした。
空気は誰にも見えない。
僕にも他の人にも見えない。
それでも等しくそこにある。
当たり前のことがとても深い意味のあることのように感じた。
感謝を意識しながら呼吸した。
(2019年12月11日)

古い記事へ «