Zoom会議

とうとう僕もZoom会議にデビューした。
地域の視覚障害者協会理事会が在宅でのZoom会議となったのだ。
参加理事9名のうち6名は全盲だ。
会長は自分自身も全盲だがパソコンやスマートフォンなどへの知識は長けている。
その会長がそれぞれ事前訓練をしてくれたお陰で開催できたのだ。
全盲の場合は元々お互いの顔は見えていないせいか違和感はほとんどなかった。
ただ、後で気づいた。
音声だけの会議と映像付きの会議とあるのだが、普通に映像付きで実施していた。
何故だろう。
見える人がやっているようにやったということなのかな。
映像はお互いに確認できない。
ひょっとしたら、顔の一部しか映っていない人もいたかもしれない。
僕ははげたおでこだけが映っていたのかもしれない。
今更だけど、ちゃんと髪もセットして服も整えておけばよかったと後悔している。
もう終わったことだから、今回はこれでよかったことにしよう。
見えている人とのZoom会議に参加するときは気をつけなければと思った。
見えているって結構面倒くさいなあ。
(2020年5月27日)

Be My eyes、その後

懐かしい人からのメールが増えた。
ホームページのお問合せフォームからのメッセージも増えた。
これは以前は講演依頼がほとんどだったが、すっかり様変わりした。
自宅で過ごす人達がそれぞれの思いを持って生きておられるということだろう。
いろいろな地域でいろいろな人達がこのホームページを覗いてくださっているのを再
確認している。
有難いことだ。
先日の「Be My eyes」への反応も多く寄せられた。
実際にパソコンの画面の説明をしながら買い物を手伝ったとか、
洋服とピアスの色合いを見てあげたとかの報告もあった。
小学生からも届いた。
アプリをインストールしてからスマホが鳴るのをワクワクしながら待っているという
のもあった。
どのメールにも共通していたのは喜びだった。
自分が誰かの役に立つということを心から喜んでいる姿があった。
それを読んだ僕もまたうれしくなった。
愛は人間の本能の中にあるのかもしれない。
ゾウさんよりも小さくてライオンよりも弱い人間が文明を築いてこられたのは、
この本能の部分にあるような気がしている。
目に見えないものと僕達は今向かい合っている。
社会はどう変化していくのだろう。
自分自身の本能を見つめなおしていきたい。
(2020年5月22日)

アスパラ

北海道の友人からアスパラが届いた。
2Lサイズの立派なものだ。
この辺りのスーパーでは見かけたことのない太さだ。
茹でてから、ちょっとだけマヨネーズをつけて頂いた。
甘さが口中に広がった。
それだけで満足した。
有人はビールが進むと表現していたが、下戸の僕にも分かるような気がした。
北海道の豊かな大地を想像した。
北海道には幾度か行ったことがある。
思い出は宝物になっている。
こういう時代になって、幸せの意味を考える時間が多くなった。
簡単に答えは出ないことも知っているけど、
思い出が輝くというのは素晴らしいことだと思う。
思い出になってくれた時間にありがとうを伝えたい。
先日は高校の同級生からお米が届いた。
もう10年以上会っていなかったし、賀状のやりとりさえも不確かなものだった。
彼女もきっといろいろ考える時間が増えたということだろう。
高校時代の思い出が輝いてくれているということなのかもしれない。
お米と一緒に届いたメッセージには、
「陣中見舞い、腹が減っては戦もできぬ」と書いてあった。
今、それぞれの人がそれぞれの人生を見つめなおしているのかもしれない。
その先にはきっと、過去よりも豊かになった未来があるはずだ。
いや、そうありたい。
(2020年5月18日)

三文の徳

久しぶりの仕事、ちょっと早起きもして準備万端で出かけた。
いつものように、健康のためにバス停二つ分は歩いた。
バス停が近くなったところで、ずれさがってきたサングラスを上にあげようとした。
驚いた。
サングラスがなかった。
かけるのを忘れて家に置いたまま出かけてきてしまったのだ。
マスクのゴムが耳に当たる感覚をサングラスと勘違いしてしまったのだ。
残念ながら初めてではない。
マスクをするようになってからもう3回目だ。
情けなくなってきた。
学習能力が低下しているのだろう。
そのうち口元にサングラスをして目にマスクをして歩いているかもしれない。
もし見つけた方、そっと教えてくださいね。
ささやかなプライドを傷つけないようにお願いしますね。
ちなみに、今日はそれから引き返していつものサングラスをかけた。
目にサングラス、口元にマスクがあることを手で触ってしっかり確認した。
近くのバス停からバスに乗車した。
仕事はギリギリセーフで間に合った。
早起きしてたから間に合ったのだ。
これって早起きは三文の徳になるのかな。
(2020年5月14日)

葉っぱ

いつもの道をいつものように歩いていた。
幅2メートルくらいの道だ。
突然頭頂部が何かに当たった。
僕は立ち止って手で確かめた。
やっぱり葉っぱだった。
昨日も一昨日も歩いたが気づかなかった。
いや、存在していなかった。
木の葉が成長した重たさで枝がほんのわずか垂れ下がったのだ。
数ミリかもしれない。
散歩の人は元より、僕の横を通り過ぎていった車の運転手さん、
追い越していった自転車の人、
きっと誰も気づいていないだろう。
はしゃぎまわっていた小鳥達さえも気づいていないだろう。
世界中で僕だけが気付いたのかもしれない。
宝物を探し当てたような気分になった。
僕は葉っぱをそっと鼻に近づけた。
緑の匂いはわからなかったけど、生き生きとした緑の触感は感じた。
小さな幸せ、大好きです。
(2020年5月12日)

こいのぼり

晴れ渡った空。
空の蒼さを風が教えてくれている。
風に吹かれているだけで気持ちいい。
地球ができた時からずっと、風は吹き続けていたのだろうな。
あっちにこっちに吹いていたのだろうな。
そんなことを考えながら深呼吸する。
それからもう一度空を眺める。
いつかどこかで見たこいのぼりを思い出す。
今日はこいのぼりの鯉も喜んでいるだろう。
記憶が少年時代の鯉につながっていく。
近所の川で鯉釣りをした。
いつもは鮒しかつれなかったが、大雨の後などは鯉が釣れた。
養魚場の鯉などが流れ出ていたのだ。
それを釣って家の池で育てた。
金色、赤、白、紅白、綺麗だった。
毎日のように釣りにでかけて、夏休みの宿題ができなかったことも憶えている。
時間がゆっくりと流れていた。
あの頃、豊かさって何だろうなんて考えたことはなかった。
でも、確かに豊だった。
今年は考える時間はありそうだ。
もう一度考えてみよう。
豊かさって何だろう。
残された人生を豊かに過ごすにはどうしたらいいのだろう。
そのために生きているのだから。
風、ありがとう。
(2020年5月8日)

挨拶

団地の前の道は人通りも少ない。
バス停の手前で折り返せば遭遇する人数は一桁ですむ。
僕の散歩コースになっている。
自転車だけには気をつけて歩いている。
非常事態宣言の後、通行人も自転車も少なくなった。
社会全体が不要不急の外出を自粛しているということだろう。
僕も散歩は30分程度と決めている。
今日も散歩していたら、後ろから自転車の微かな音が聞こえた。
僕は立ち止って自転車が通り過ぎるのを待った。
「松永さーん、頑張ってねー。」
自転車の人はそう言いながら横を通り過ぎていった。
「ありがとうございまーす。」
僕は咄嗟に大きな声で返事をした。
ただそれだけのことをとてもうれしく感じた。
その人が誰なのか僕は分かっていない。
でも、頑張れよとおっしゃってくださった。
人間同士が交わす言葉の大切さを再認識した。
何気ない挨拶が素敵なんだと痛感した。
当たり前ではなくなって当たり前が見えてくる。
今感じることをしっかりと憶えておきたい。
当たり前になった時、きっと宝物になる。
(2020年5月4日)

Be My Eyes

外出はできるだけ自粛している。
でも、どうしても出かけなければいけない用事もたまにはある。
出かける前に体温は測るようにしている。
全盲の僕には体温計の表示は見えないから困ることになる。
家族に見てもらうことが多い。
でも、いつも家族が近くにいるわけではない。
視覚障害者の中にもお一人暮らしの方もおられる。
僕の友人の視覚障害者も一人暮らしだが、彼は音声体温計を持っている。
何年か前、僕も手に入れようかと思ったが計測時間を知ってあきらめた。
5分かかるらしい。
当時の僕は元気で使用頻度も少なかったということもあきらめた理由かもしれない。
状況が変わってしまった。
まさか日常的に体温を測定しなければならない日があるとは想像しなかった。
困っていたら、『Be My Eyes』というアプリを教えてもらった。
早速スマートフォンにアプリを入れて試してみた。
体温計を脇に挟んで熱を測った。
ピピッと音がしたところで体温計をテーブルの上に置いた。
それから、『Be My Eyes』をスタートした。
1分もたたないうちにつながった。
「はーい、どうしました?」
スマートフォンから誰かの声が聞こえてきた。
「体温計の表示を読んで欲しいんですが。」
「分かりました。カメラをもう少し左に動かしてください。
もうちょっと体温計に近づけてください。」
僕は言われるままにスマートフォンを動かした。
「35,6度ですよ。」
「ありがとうございます。」
「お大事にね。」
そして通話は終わった。
感動して目頭が熱くなった。
どこに住んでいる人かも分からないし、年齢も分からない。
男性の声ということだけは分かった。
勿論、これまで会ったこともない人だろう。
一生会うこともない人かもしれない。
そんな人が赤の他人の僕に目を貸してくださったのだ。
さりげなく助けてくださったのだ。
アプリの説明には、「『Be My Eyes』の目的は、ささやかで親切な行為を行うこと、
またその恩恵を受けることにあります。」と書いてあった。
ささやかな行為が見えない誰かの命を救うのかもしれない。
こういうアプリを開発してくださった人、そして、趣旨に賛同して参加してくださっ
ている見える人、心から感謝致します。
本当にありがとうございます。
そして、このブログを読んで興味を持ってくださった見える方、
是非、僕達に目を貸してください。
お願い致します。
(2020年4月29日)

つつじ

「つつじが咲きはじめました。
時間が止まってるように感じてたから、ドキッとしました。
白もピンクも朱色もあります。」
突然飛び込んできたメールは鮮やかに彩られていた。
春が歩いていることを教えてくれていた。
立ち止らない季節が時を伝えていた。
読み終えた僕もドキッとした。
僕の時間も止まりかけていたということだろう。
今このひとときも、本当はとても大切で貴重なものなのだ。
背筋を伸ばして顔を上に上げた。
気合を入れて立ち上がってベランダに出た。
遠くを眺めた。
春を眺めた。
光を眺めた。
笑顔になった。
(2020年4月24日)

ワカメ

突然の電話は懐かしい声だった。
彼女は京都市内の大学で社会福祉を学んだ。
学生時代に受講してくれた同行援護の講座で僕と知り合ったのだ。
卒業後は故郷に帰省したので会う機会もなくなった。
電話口の声は変わっていなかった。
口数の少なさも同じだった。
「わかめのふりかけを少し送りました。私の好物なんです。」
理由も経緯も言葉にはしなかったが十分伝わってきた。
彼女の故郷は海の近くだった。
コロナの影響で活動ができなくなっている僕を思いやってくれたのだろう。
電話を切ってからぼんやりとやさしい時間が流れた。
少年時代に海辺でワカメを取っていたことを思い出した。
春先だったような気がする。
薄灰色の波打ち際にワカメが流れてきているのだ。
漁師さん達が船でワカメを取った際の一部だ。
持ち帰って縄にくくりつけて干していた。
それがお味噌汁の具になったりしたのだ。
干したワカメの映像までが蘇った。
潮風が薫ような気になった。
(2020年4月22日)

古い記事へ «