さわさわ

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
さわさわという言葉はスワヒリ語でそういう意味だった。
立ち上げに力を貸してくださったアフリカの研究者が教えてくださった言葉だった。
終わる日を決めてから、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」という言葉のやさしさをあ
らためて噛み締めた。
見えにくさが大きくなっていった頃、不安も悲しみも挫折感もあった。
見えなくなった時、どこか遠くへいってしまうような淋しさを感じた。
悲しい人と淋しい人が出会ったはずなのに、
そこには微かな笑顔が生まれた。
人間が集まればいろんなことが起こる。
時には意見の相違もあったし、迷走もした。
それを含めての居場所だったのだろう。
他人と出会いながら、自分自身をそれぞれが見つめていった。
自分自身をもっと好きになれた空間だったのかもしれない。
そして、たくさんの人達が応援してくださった。
応援はみんなの生きる力に変わっていった。
8年という歳月が織りなした絆はいつまでも続いていくような気がする。
それぞれの心の中で生き続けていくような気がする。
僕自身は素直に力不足だったと思う。
理事長とは名ばかりの存在だったのかもしれない。
それでも、最後の日に立ち会えたことを心から幸せだと思う。
皆様、本当にありがとうございました。
(2020年7月1日)

笑顔の一日

散髪屋さんで会計をしようとしたら、60歳以下に間違われた。
「シニアです。」
僕はそう言ってから表情を変えないで会計を済ませた。
70円値引きしてもらった。
お店を出た途端に笑顔がこぼれた。
70円もうれしいけれど、60歳以下に見られたのがうれしかった。
40歳で見えなくなったのだから、もう20年以上も自分を見ていない。
触覚でハゲてきたのは分かっている。
シワはまだないような気はする。
どんな風貌になっているのだろう。
そんなことを考えながら横断歩道まで歩いた。
「あっ、29番が行ってしまいました。」
ガイドさんが申し訳なさそうに伝えてくださった。
横断歩道を渡ったところがバス停なのだ。
29番は僕が乗る予定のバスだった。
30分に一便しかいないので、30分待たなければいけないということになる。
タイミングの悪さに笑顔は一瞬で消えてしまった。
僕は29番をあきらめて阪急電車で帰ることにした。
駅の改札口までガイドさんに連れて行ってもらった。
そこでガイドさんと別れて単独でホームに向かった。
駅は緊張感を伴うので大変だ。
頑張って歩き始めた。
しばらくして電車が到着した。
僕は乗車後いつものように入り口の手すりを持った。
「席に座りますか?」
すぐに女性が声をかけてくださった。
「ありがとうございます。助かります。」
僕は笑顔で答えた。
彼女のサポートで席に座りながらありがとうカードを渡した。
そこから帰宅するまで心の中はずっと笑顔だった。
いい一日だったなと思った。
こんな気持ちで一日が過ぎるというのを幸せだと感じた。
僕も誰かにそんな笑顔を届けられればいいなと思った。
(2020年6月29日)

久しぶりの失敗

久しぶりに失敗した。
ふっと気が抜けてしまったのだろう。
白杖で電車とホームの隙間をしっかりと確認、それから電車の床も確認、
流れるような動きで乗車した。
そこからはいつも入り口の手すりを持って立っている。
ところが今回は、一瞬手すりを持つ姿勢になったのだが、
何故かそこから一番近い座席を白杖で探って座ろうとしてしまった。
本能的に座りたいという欲求があったのかもしれない。
授業の後でちょっと疲れていたのかな。
そして、なんとなくその座席は空いているような気がしたのだ。
いやどこかで、空いていると信じてしまっての動きだった。
根拠もないのにそう思ってしまっていたのだ。
「すみません。」と声を出しながら、白杖で座席の端を確認しようとした。
うまく確認できなかった。
そこで引き下がればよかったのだが動きは止まらなかった。
今度はシートを触ろうと手を出した。
「います、います。」
若い女性の声が飛び跳ねた。
そして慌ててどこかへ行ってしまった。
いや、まさに逃げたという感じだった。
「ごめんなさい。」
僕は方向も確認できないまま大きな声で謝った。
見えなくなった最初の頃は失敗することを恐れた。
そんな自分を見られることを恥ずかしく感じた。
失敗を重ねながら少しずつ学んでいった。
いつの頃からか、失敗する自分を笑い飛ばせるようになっていった。
見えないとはそういうことなのだと、
平常心で自分自身に言い聞かせられるようになっていった。
図々しくなっていった訳ではないと思う。
失敗した時はちゃんと謝ることが大切だと思うようになった。
今回の失敗もそんなに落ち込むほどのものではない。
やってしまったという感じだ。
ただ、その人にちゃんと謝罪が通じたかが不安だ。
声が聞こえてくれていたらいいのだが。
僕が嫌がられるのはかまわないが、
彼女が他の視覚障害者にも嫌なイメージを持ってしまったらそれは悲しい。
でもどうすることもできない。
そんなことにならないようにと願うだけだ。
まだまだ勉強が足りないな。
反省します。
(2020年6月26日)

夏至

朝の散歩をしながらちょっとうれしかった。
出かける前のニュースで夏至と知ったからだ。
昼が長いということはたくさんの光の中にいるということだ。
僕の目の前は昼も夜も変化はない。
目で光を確認することはない。
でも時々、顔に当たる日差しでお日様を感じることはある。
お日様を感じるといつもなんとなくうれしくなる。
お日様が好きなのかなぁ。
子供の頃、影踏みをして遊んだ。
もう幻に近い記憶だ。
人間は一晩眠ると昨日の記憶の70パーセントを失うと友人が教えてくれた。
残りの記憶も時間と共に少しずつ消えていくのだろう。
最後に残る記憶は何なのだろう。
笑顔になれる思い出が残ればいいな。
影踏み、ずっと憶えていたいな。
(2020年6月21日)

胸ポケット

3月の中頃だったと思う。
僕の胸ポケットから「ありがとうカード」が消えた。
サポートしてくださった人に感謝を伝えたい気持ちは変わらない。
でも、手渡しでカードを渡すのは失礼になるかもしれないと思い始めたのだ。
サポートを受けること自体がソーシャルディスタンスを守れない。
手から手にカードを渡すのはもっと危ないことになるのかもしれない。
実際、サポートの声は街中から少なくなった。
僕だけが感じているのではなくて、障害者の仲間も同じ感想を持っていた。
社会が冷たくなったのではない。
お互いに遠慮をしているのだろう。
まだ点字ブロックの状況が把握できていない烏丸駅で迷ってしまった。
「一緒に行きましょう。どこまでですか?」
中年男性は普通に声をかけてくださった。
僕は桂まで、彼は大阪までだった。
僕は彼の肘を持たせてもらって一緒に改札を入り、一緒に電車に乗った。
わずかな乗車時間に僕達はいくつかの会話を交わした。
何気ない会話だった。
桂に電車が到着して、彼は僕の降車を手伝ってくださった。
「ありがとうございました。」
「気をつけて。」
それだけの人生の交差だった。
たったそれだけの豊かな交差だった。
僕は胸ポケットにカードを入れていなかったことを悔やんだ。
きっと、以前みたいに簡単には渡せないだろう。
でも、タイミングが合った時はやはり渡したいと思った。
しっかりと感謝を伝えたいと思った。
サポートを受けられなくなった社会になれば僕達は生きていくことが大変になる。
だからこそ、伝えなければいけないこともあるのかもしれない。
また明日からとりあえずカードを胸ポケットに入れて外出しよう。
(2020年6月19日)

カエル

カエルの鳴き声に足が止まる。
美しいハーモニーではないのだけれど何故か心が落ち着く。
雨に濡れた緑色が頭の中に広がる。
つかの間の想像は僕をアジサイの花畑にまで招待してくれる。
ピンクの花弁よりもブルーの花弁が好きなことに気づく。
目を凝らせばカタツムリが乗っかっている。
雨上がりの空の下、もう60年以上も生きてきたのだと改めて思う。
頑張って走ってきたつもりだったけれど、カタツムリくらいだったのかもしれない。
カエルみたいに鳴いてきたのかな。
季節はその時々の色合いで包んでくれていたことに気づく。
うれしくなる。
ほっとする。
そっとマスクをずらして深呼吸する。
(2020年6月15日)

ウグイス君

ウグイス君の鳴き声に気づいたのは冬が終わろうとしている頃だったと思う。
散歩コースの川べりの草むらだった。
春告げ鳥だなと思った記憶がある。
その近くを通ると鳴き声で足が止まった。
最初はホーホケキョには程遠い鳴き方だった。
ケキョケキョみたいな感じだった。
「頑張れ、頑張れ!」
僕は幾度か声をかけた。
ウグイス君はなかなか上手にはならなかった。
優等生ではなかった。
散歩の途中でいつも観察していた。
「ちょっとだけうまくなったよ。」
僕はそれも伝えた。
人間は他の動物の言葉をわからない。
でも、動物たちは人間の言葉を理解しているのかもしれない。
子供の頃から時々そんなことを感じることがあった。
証拠は何もないんだけど、今でもどこかでそう思っている。
だから僕は声に出して言うことが多いのだろう。
今朝、初めて「ホーホケキョ」が聞こえた。
幾度も聞こえた鳴き声の中の一回だけだった。
しばらく聞いていたが、他はホーホケケキョケキョなどだった。
声もだいぶ大きくなっていた。
少し自信がでてきたのかな。
実力が伴っていないのに、えっへんと鳴いているのを愛おしく思った。
自分自身を重ねていたのかもしれない。
10回の失敗を忘れて一回の成功だけをうれしそうに憶えている。
ウグイス君と親友になった気がした。
(2020年6月10日)

躊躇

二か月ほど巣ごもり状態だった。
専門学校での仕事が6月から始まったので以前と同じような感じで学校へ向かった。
久しぶりの通勤だった。
頭の中の地図を辿りながら慎重に歩いた。
ポイントは白杖で確かめつつ音もしっかりと聞くように心がけた。
鈍っていた感覚を少しずつ取り戻すような作業だった。
阪急烏丸駅の西改札を出ようとして迷ってしまった。
点字ブロックの場所が変わってしまっていたのだ。
駅員さんに尋ねようとしたが、その場所さえ分からなくなっていた。
足音に声をかけようとしたが、躊躇してしまう僕がいた。
数か月前にはなかったことだ。
ソーシャルディスタンスとか3密とかの言葉が脳裏をよぎった。
いくつか足音が通り過ぎたが、サポート依頼をする勇気が出なかった。
僕は自分の勘を頼りに少しずつ動いた。
やがて、右側で券売機の音がした。
券売機を背にしてまっすぐ行けば階段がある筈だ。
成功した。
ほっとした。
点字ブロックの場所が少しずれただけ、きっと見える人には問題ないだろう。
点字ブロックの方向や分岐点の位置を地図として使う僕にとっては大問題だ。
それにしても、このウィズコロナの社会に僕達はどう関わっていけばいいのだろう。
一定の距離を保ってのサポートは難しいだろう。
今まで通りに社会に参加したいし、
勿論、他の人に迷惑もかけたくない。
しばらくは悩める日々になりそうだ。
(2020年6月6日)

新仕事始め

4月は仕事らしきものはまったくなかった。
5月は高校のテレワークが週に一回あるだけだった。
6月が始まって社会が少し動き出した。
久しぶりに仕事で外出をした。
毎年声をかけてくださっている盲ろう者通訳介助員の養成講座の仕事だった。
方法は例年と違った。
受講生の三密を避けるために一部の講義はビデオ撮影で対応するとのことだった。
だから会場は録画や録音の機器が準備してあるスタジオだった。
僕の方は見えないのだから、前に受講生がいるかいないかはあまり関係ない。
ほとんどいつものように実施できた。
主催者の聴覚言語センターの職員の方々のサポートも適格だった。
終わってから職員の方々と意見交換した。
聴覚障害の職員の方もおられたが、手話通訳者のお陰でコミュニケーションに問題は
なかった。
目と耳と障害は違うけど、うなずく部分が多くあったとおっしゃった。
小学校などで子供達にしっかりと伝えていくことの大切さでも思いが重なった。
お互いに頑張ろうとエールを交換した。
コロナの時代での仕事始め、仕事の意味を考え直すいい時間となった。
変化していく流れの中で変化してはいけないものの大切さを考えた。
社会の中で呼吸している自分を感じた。
また頑張ろうと思った。
(2020年6月2日)

Zoom会議

とうとう僕もZoom会議にデビューした。
地域の視覚障害者協会理事会が在宅でのZoom会議となったのだ。
参加理事9名のうち6名は全盲だ。
会長は自分自身も全盲だがパソコンやスマートフォンなどへの知識は長けている。
その会長がそれぞれ事前訓練をしてくれたお陰で開催できたのだ。
全盲の場合は元々お互いの顔は見えていないせいか違和感はほとんどなかった。
ただ、後で気づいた。
音声だけの会議と映像付きの会議とあるのだが、普通に映像付きで実施していた。
何故だろう。
見える人がやっているようにやったということなのかな。
映像はお互いに確認できない。
ひょっとしたら、顔の一部しか映っていない人もいたかもしれない。
僕ははげたおでこだけが映っていたのかもしれない。
今更だけど、ちゃんと髪もセットして服も整えておけばよかったと後悔している。
もう終わったことだから、今回はこれでよかったことにしよう。
見えている人とのZoom会議に参加するときは気をつけなければと思った。
見えているって結構面倒くさいなあ。
(2020年5月27日)