ウグイス

ウグイスかなと思いながら朝の空気に耳を澄ませた。
判断するには時間がかかった。
それくらい下手な鳴き方だった。
ウグイスと分かった後でも僕の耳は聞き続けた。
少しハラハラしながら聞き続けた。
そして微笑んでいる自分に気づいた。
上手な鳴き方だったらここまで聞き続けなかったのかもしれない。
下手でも一生懸命に頑張っていることに心が動くのだろう。
自然に応援してしまうのだ。
劣等生だった自分自身の人生へのエールかな。
今日も頑張ろうと思った。
ウグイス君、ありがとう。
頑張り続ければ、きっと少しはうまくなるからね。
(2020年4月6日)

新年度

たぶんほとんどの人達が不安の中で新年度を迎えたのだろう。
僕自身もそんな感じの一日となった。
一年後の自分自身の命にさえいつもと違う思いがある。
生きていくということは本来はそういうものなのかもしれないが、
これまでそんなにシリアスに感じることはなかった。
平和な社会で生きてこれたということなのかな。
戦争や飢饉の中の人達はこうして命を紡いでこられたのかもしれない。
先が見えないということは目が見えないということに似ている。
手探りで前を確かめて歩いていくしかない。
大切なことは希望を失わないということだ。
信じる道を歩いていく一年にしたい。
(2020年4月1日)

原風景

ラジオから流れてきた風景には山も畑もあった。
田んぼのあぜ道もあった。
青空も白い雲もあった。
小川のせせらぎも添えられていた。
訪れたこともないはずなのに記憶が少しずつ蘇っていくような気がした。
セピア色の写真が色彩を取り戻していくような感じだった。
いつどこで見た風景なのかと思いめぐらしたが答えは出なかった。
のどかな原風景が無言で存在していた。
光の柔らかさが春を告げていた。
何気ない風景なのにそこには幸福が感じられた。
風景の中の幸福を僕自身が求めていることにふと気づいた。
広がっていく不安の裏返しなのかもしれない。
今度晴れた日に歩きたいと思った。
光を感じながら歩きたいと思った。
そして春の光の下で両手を広げて深呼吸をしたいと思った。
(2020年3月29日)

指先

右手の人差し指の先の裏側で桜の花を触った。
人差し指の先の裏側は1センチ四方よりも狭いかもしれない。
桜の花弁はそれよりも小さいはずだ。
それなのに触った瞬間に包まれるのはなぜなのだろう。
ピンク色のやさしさに身体全体が包まれる。
時が止る。
お互いの命を確かめ合うように静かに呼吸する。
特別に桜だけが好きなわけではない。
特別に春だけが好きなわけではない。
生きていることを実感する瞬間が愛おしいのだろう。
見えなくなって24年の歳月が流れてしまった。
見た記憶が少しずつ確実に遠ざかる。
その流れの中で生きてきた。
生きてこれた。
一度指を離してからもう一度桜の花弁を触った。
なんとなくわざとそうした。
やさしいピンク色が辺り一面に鮮やかに蘇った。
(2020年3月25日)

高校の後輩

故郷の川内高校の後輩と鴨川沿いを歩いた。
後輩と言っても彼は25歳だから孫みたいなものだ。
たまたま僕達はそれぞれの大学時代を京都で過ごしたのだ。
ふとしたきっかけで彼と出会った。
縁があったのだろう。
40年前、確かに僕は鴨川沿いの道を歩いた。
比叡山を観ながら歩いた。
何を考えて歩いていたのだろう。
何を夢見て歩いていたのだろう。
あれからずっと歩き続けてきたのだな。
気が遠くなるような時間だ。
夢はことごとく消えてしまったのかもしれない。
それどころか、40年後の全盲の人生なんて考えたことがなかった。
悔しさや悲しさがないわけではない。
でも、見えないことも含めて受け入れている今がある。
僕なりに精一杯生きてきたのだろう。
後輩の肘を持って歩き続けた。
春風が心地よかった。
彼の未来が豊かでありますようにと心から願った。
そして、僕ももうちょっと頑張ろうと思った。
(2020年3月20日)

ふきのとうの佃煮

春の風を感じたせいかもしれない。
無性に食べたくなった。
僕はデパートに電話して尋ねた。
「ふきのとうの佃煮はありますか?」
調べて折り返しの電話をしてくださるとのことだった。
祈りながら電話を待った。
子供みたいだと思いながら待った。
しばらくして電話がかかってきた。
老舗の佃煮屋さんにあるとのことだった。
僕は友人に手引きを頼んでデパートに出かけた。
地下の食料品売り場にそのお店はあった。
すぐに食べるならと店員さんは自然のままの方を勧めてくださった。
僕は喜んでそちらを買い求めた。
家に帰り着くなり袋を開けた。
タッパーに入れながら我慢できずに指でつかんで少し口に入れた。
それから数回噛んで、口を動かすのをやめた。
舌先に神経を集中させてじっとした。
静かに呼吸しながらじっとした。
なんとも言えない苦みがじわじわと口中に広がった。
幸せを感じた。
たった一口のふきのとうに魔法をかけられたような感じだった。
つくづくとうれしくなった。
もうしばらくすれば桜が咲くだろう。
春を迎えられることは幸せなことなのだとなんとなく思った。
(2020年3月18日)

桜の思い出

桜の開花のニュースを聞いた。
雪が散らつく中での開花とのことだった。
僕にも経験があった。
いつだったのだろう。
どこにでもありそうな児童公園の桜だった。
名残雪の中での淡いピンク色をしっかりと憶えている。
美しさに足が竦んでしまった。
しばらく佇んでいた。
飽くことのない時が流れていた。
記憶とは面白いもので、その後焼肉屋さんに行ったことまで憶えている。
雪と桜と焼肉が似合うとは思えない。
それなのに記憶はとても鮮やかだ。
地下の焼肉屋さんに続く階段まで憶えている。
切り取られた記憶が幸せに包まれているということだろうか。
もうしばらくすれば、京都の桜も咲き始める。
満開の桜の木の下を歩きたい。
のんびりとゆっくりと歩きたい。
(3月15日)

白杖と自転車

僕の散歩コースは人がやっとすれ違うことができるくらいの道幅だ。
白杖でいろいろと確認しながら歩く。
路面の感覚がザラザラだったりツルツルだったり所々変化するので情報となる。
白杖の路面に当たる感覚で道の傾斜が伝わってくる。
自分が道の右側を歩いているのか左側なのかも白杖で確認する。
左右に動かした時に右側の草むらに当たれば右側、左の手すりに当たれば左側という
ことになる。
右に行ったり左に行ったりして歩いている。
見えないとはそういうことだ。
前方から人が歩いてくることもあれば後ろから追い抜かされることもある。
ぶつかってはいけないのでしっかりと耳を澄ませて歩いている。
道路を行き交う車のエンジン音もひとつのナビゲーションだ。
だいたいの方向などを確認している。
たまに聞こえる鳥の鳴き声などは緊張感をほぐしてくれる。
橋を渡る時の小川のせせらぎの音もそうだ。
季節によっては花の香りに気づいて足が止まる。
幸せの瞬間だ。
一番怖いのはやはり自転車だ。
すれ違う瞬間までほとんど音がしない。
昔はベルを鳴らすのが一般的だったが今はそうではない。
歩行者優先だから鳴らしてはいけないという考え方らしい。
僕は鳴らしてくださった方が助かる。
「自転車、通りまーす。」
たまに後ろから自転車に乗っている方の声が聞こえることがある。
僕は瞬間立ち止る。
自転車が横を通り抜けていくのを確認してからまた歩き出す。
一声で安全度が確実にあがる。
うれしくなる。
「ありがとうございます。」
僕は自転車に大きな声でお礼を言う。
たまに返事がある時もある。
「頑張ってくださーい。」
「行ってらっしゃーい。」
「応援していまーす。」
恐怖の自転車が幸せを運ぶ乗り物に変化する。
やっぱり人間の声は素敵だと思う。
(2020年3月11日)

5年生からの手紙

5年生の子供達から届いた手紙に心が震えた。
福祉授業で僕の話を聞いてくれた子供達からのメッセージだった。
視覚障害についての正しい理解ができたとのことだった。
障害への考え方が変わったとも書いてあった。
人間の生き方について考えたというのもあった。
自分達が未来を作っていくという宣言もあった。
一人一人のひとつひとつの言葉がキラキラと輝いていた。
キラキラとした眼差しで書いてくれたのが伝わってきた。
愛が溢れていた。
愛には力があるのだと思った。
子供達と向かい合う時、いつも全力の僕がいる。
ある意味、必死になっている僕がいる。
子供達に話しかけるということは未来に語りかけるということなのだ。
こうして子供達のメッセージを読みながら、ほんの少しそれができたことに気づく。
そして充実感が僕自身をも幸せにする。
僕にできるささやかなこと、これからもまだまだ頑張りたい。
メッセージを届けてくださった先生方にも心から感謝したい。
(2020年3月7日)

菜の花

僕は自宅で電話をしていた。
晴眼者の彼は戸外を歩きながらの電話らしかった。
仕事の話だった。
突然、彼は会話を遮った。
「空き地が菜の花でいっぱいですよ。黄色一色です。
売地という看板が出ています。」
僕は一気にうれしくなった。
「700円だったら、僕が買うよ。」
僕はすかさず答えた。
どこから700円という数字になったのかは自分でも分らない。
40歳で見えなくなって仕事を失った。
その後、頑張ってトライしたけどちゃんとした就職はできなかった。
いろいろな書類の職業欄には自由業と書き続けて20年が過ぎた。
僕の人生、僕の経済力では土地を購入するなんてあり得ない。
自嘲しながらの数字だったのかもしれない。
でも、ここまでの道をどこかで満足しているのだろう。
土地を買えないことよりも、菜の花を喜ぶ自分を受け止めている。
電話を切って気づいた。
六畳の僕の部屋は菜の花の黄色で埋め尽くされていた。
幸せの黄色だなと思った。
(2020年3月4日)

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